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 戦国史研究家の谷口克広氏は、本能寺ノ変を考える時には一次史料の検討を第一に考えるべきだと言われています。


 一次史料とは、当時の人の手による日記や書簡だと言われます。それに加えて後に書かれた編纂史料の精査が必要だそうです。これには、事件現場にいた者が書いた覚書も含まれます。


 しかし、これらの史料にも又聞きした事を書いたものもありますから、どの様な立場の者から聞いたのかなど中々その推測は難しいようです。


 これには、我が家と所縁のある勧修寺晴豊の書いた『晴豊記』『日々記』も含まれています。特に『日々記』の中の天正十年四月から六月の部分は、『天正十年夏記』と呼ばれ、当日現場にいた晴豊ですので、変の様子をリアルに知る貴重な史料となっています。また、信長への三職推任の事実を語る唯一の史料だとも言われます。


 しかし、明智光秀の決断の真意はどこにあるのでしょうか?信長の目指す天下への危惧、親しい公家衆や天皇の将来、光秀一族将来への不安、怨恨もあったのかも知れません。事務的能力の優れた光秀の真面目で几帳面な性格もあったのでしょうか・・・・


 多くの事が複合して光秀に決断させたのではないでしょうか。


 光秀の日記や書簡でも見つかれば、一気に真相が解明されるのですが・・・???