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 『隔冥記』正保元年(1644)六月十三日の条です。


 明智日向守秀岳居士諷経也。


 明智光秀の命日です。その供養を和尚が鹿苑寺でしていたようです。


 和尚の父である勧修寺晴豊や近衛前久など、光秀と公家たちの繋がりは密であったようです。私はその辺りに本能寺ノ変の真相があるような気がしています。先週の大河ドラマ「軍師官兵衛」にも、その様な場面がありましたが・・・・


 変の前日や当日に、信長の側にいた和尚の父である晴豊は、その真相の全てを知っていたと思います。日記「晴豊記」には、その部分が欠けているそうです。晴豊自身が隠したのかも知れません。


 和尚たち勧修寺家の人々や、その姻戚の佐久間安政も真相を知っていたのかもしれませんね。


 仏壇の安政肖像画に問いかけても何も答えてくれませんが・・・・