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「隠桂貞久大姉 大膳正母 二十七日」  勝之の母ならば、盛次の室で柴田勝家の妹である。末森殿と言われている。盛政、安政、勝安の母でもある。


「當寺開基徳翁院殿功岸玄忠大居士 佐久間備前守 寛永四年丁卯四月二十五日」  飯山藩主であった佐久間久右衛門安政。盛次の二男であり、私の先祖に当たる。当時の大きな位牌も現存している。




「光寿院殿久昌理遠大姉 玄忠御室 寛永二十年二月二十日」  安政の室であった公家、勧修寺晴豊の娘である。


「清雲院殿義同三司孤月西円大居士 光寿院父 八日」  正親町天皇の武家伝奏であった名家の勧修寺晴豊。「義」は「儀」、「西円」は「円西」と他の菩提寺の戒名には書かれている。「三司」とは唐名(からな・中国での官職の呼び名)で、左・右大臣や太政大臣を表し、「義同三司」で、それら大臣に准ずる高い位の者という事になる。公家独特の戒名である。命日は慶長七年(1602)十二月八日で五十九歳で亡くなった。没後に内大臣になっている。本能寺ノ変の真相を著しているのではないかといつも話題に上る『晴豊記』の著者である。

誠仁親王の義兄、後陽成天皇の叔父にあたる。

 

「寿光院殿天長貞久大姉 光寿院母 二十四日」  勧修寺晴豊の妻である、従三位刑部卿であった土御門有脩(ありすえ)の娘・脩子である。関白・近衛前久(さきひさ)の姪に当たる。