長浜市余呉町に伝わる行事です。

 

 賤ヶ岳ノ合戦の折りに討ち死にした中川瀬兵衛清秀の遺骸を、当時の村民12名が守った事から始まります。後に摂津茨木城からの援軍が到着した折には、大変感謝されたそうです。


 その後、その12名の家が代々清秀の墓を守り、現在に至る400年以上もの間供養して来られたのです。その人達は中川組と呼ばれています。


 最初は清秀の命日に供養をして来たそうですが、その時期がちょうど農繁期にあたるもので正月に変更になったようです。


 江戸期天保年間にその中川組の代表が豊後・岡城まで行き、当時の藩主より歓待を受け、その時に賜った清秀の御神号と御絵像をその年の当番の家の床の間にかざり供養をするようになったそうです。


 維新を迎え、岡藩主・中川家も伯爵となりましたが、大岩山の墓参は行われ墓の修理もされたようです。


 幕末の藩主が彦根藩・井伊家より養子に入っていた関係で、近くからいろいろと便宜が図られたようです。


 純朴な村民の方々の気持ちを思うと、心が洗われるような歴史の一幕です。