長野県飯山市ある英岩寺というお寺に飯山藩士でした佐久間家の墓所があります。その中に、佐久間伴右衛門晋という人の墓がありますが、この人が幕末から明治にかけて多くの花蝶画を残した佐久間雲窓その人なのです。
飯山藩吟味役を務めていたのですが、勝手気ままな勤めを許され、藩主・本多家から優遇されていたようです。代々の藩主の側に仕えたと伝わりますので、元の飯山藩主であった佐久間家の系統であったのかもしれません。生来画を好み、江戸詰めの時に南画の大家、谷文晁の弟子、鏑木雲潭に学び雲窓と号したそうです。渡辺華山や椿椿山にも習い、花鳥画の梅や鶴を好み写実に徹した作品が多く、現在も多くの作品が残っています。
戊申戦争の折に、この人が率いた部隊の砲声一発から飯山戦争が起こったというエピソードもあるそうで、かなり逸話の多い個性的な人物であったようです。明治十七年に八十四歳で亡くなっています。
私の家と一番近い系統かも知れず、子孫の方に親しみを感じています。