ロイヤルミステリー 皇后のドレスの謎 | マルサの長女

マルサの長女

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🍀2022年4月7日🍀




大聖寺で、昭憲皇太后(美子皇后)の着たロングドレスが、5年の修復を終え蘇った。



ボディス(コルセット)・スカート・3メートルのトレイン(裳裾)が付いた大礼服。

(こちらはトレーン表記で良いと思いますけどね。

まあ確かにトレインだけど。)


先日、テレビを見ていたら、デーブ・スペクターがちゃんとカーツィーと発音してました。
凄いぞデーブ!英語喋れるんだね!笑

閑話休題。
コイル状に巻かれた金モールと、スパンコールが錆びてしまっている。

「そんなにお使いにはなってないのに、傷んでるのは確かでしたね。」
トレイン供奉の少年達がダメにしたんじゃないの。ニヤリ

修復プロジェクトのリーダー、中世日本研究所所長の、モニカ・ベーテさん。


皇室の資料は、表に出る事なく失われるものが多い事を知り、少しでも後世に残したいと考えたからです。

トレインの裏地に和紙が縫い込まれていた。
日本製とは予想してなかった。


🍀ドレスはいつ作られたものなのか?

手がかりは先ほどの和紙。
裏に遣払帳(経理台帳)、造船所、天竜と書いてある。


天竜は、木造軍艦だと言う事が分かった。
つまり、天竜が完成し、遣払帳が使われなくなった明治16年以降だと推測。

もう一つの手がかりは大礼服のスタイル。
プロジェクトメンバーの深井晃子さん。
「バッスルスタイルと言うのが流行るのが、1870年から1890年の間」
その流行は明治23年頃終了。
つまり、明治16年から明治23年の7年間に絞られる。

突然の真矢みきさん。笑
このワンピース素敵~!ラブ

学習院大学の学芸員、長佐古美奈子さん。
西洋の猿真似とか批判されるけど、綺麗なドレス着て鹿鳴館行ってダンス踊りたい、と思っていた女性達も多かったんじゃないかなー?

深井「お尻の所に、紅茶を乗せて運べるとか言ってましたよ」


ナポレオンの妻、ジョセフィーヌが大礼服を広めた。


「赤紫色は権力の象徴です。」

そうなんだ。びっくり


宝石を縫い込んである。


戴冠式の絵。


結局、日本の一般女性が洋装化するのは、戦後だったとか言いますよね。

戦中にもんぺ履いてたくらい?

祖母も戦前、学校に行く時だけ洋服着ていた、と言っていた様な。


皇后「国の為なれば何でも致す」

洋装が進んだ現代では、逆に和装する事が国の為になると思いますけどね。


大礼服(マントドクール)

中礼服(ローブデコルテ)宮中晩餐会で着る様な服

小礼服(ローブミデコルテ)

通常礼服(ローブモンタント)一般参賀で着る様な服

などがある。


長佐古「明治20年の新年拝賀式で着用した大礼服はドイツで作られた」

赤紫のトレインに黒テンの毛皮がついた豪華なもの。

アクセサリーも含めて15万円(7億円)。びっくり


ロサンゼルスカウンティ美術館のキュレーター、シャロン・サダコ・武田さん。


昔はコルセット作る時に鯨のヒゲ使ってたんだよね。

この小説で知った。笑

 

シャロン「おそらく日本のテーラーが、西洋の技術を学ぼうとしたのでしょう」

皇后に採寸の為触るのは畏れ多い、みたいな気持ちもあったんじゃないかな。


外国に任せていたら、きちんとしたボディスが作られていただろうし。

保管の仕方も立体のままで、と教えてもらえただろうね。


モニカ「金モールの刺繍の中身が、よく分からなかったんですよね。」

何だろう?

スポンジで嵩上げしてある?


英国王立刺繍学校「きめの荒いフェルトを使っています。」

日本の刺繍職人「反古紙ですね。」

反古紙っぽい。


皇后「殊に注意すべきは、勉めて我が国産の生地を用いんの一事なり」

大雨の中、英照皇太后と共に馬車で富岡製糸場へ視察へ行った。

凄い情熱。びっくり



🍀誰が作ったのか?


トレインのバラの織り。

日本の織物職人「能装束とは違う織り方、ヨーロッパで織られたのではないか」


リヨンの学芸員「リヨンの技術で作られた事は一目瞭然だと思います。

ポワンドバークレと呼ばれる、リヨンの典型的な織り方です。

日本人がリヨンに来て必死に学んでいたら可能かもしれませんが。

技術を習得するのには最低5年は必要です。」

そんな日本人いるわけ・・・。


足利工業学校で見つかった履歴書。

明治11年、リヨン織物学校入学

明治15年、リヨン織物学校卒業

その人物は近藤徳太郎、当時23才。

いたー!爆笑


留学後、京都織物会社に入り、その会社に美子皇后が訪れていた事が分かった。

明治宮殿に京都織物会社の織物が使われていた。


一条家の中に物見櫓があり、京都の庶民の暮らしを勉強していた。


突然のボンボニエール講座。笑


🍀どんなシーンで着られたのか

1889年2月11日、大日本帝国憲法発布式のドレスはピンクだったが、夜会のドレスは「Gala uniformen 特別な礼服」「weiss goldnen白と金」と言う記述がある。


立体にして見ると、こんな小さな体で日本を背負ったんだな、と感動しますね。
真矢さん166cm、皇后140cm。

綺麗に修復されました。ラブ

🍀

(確か明治時代に赴任した)大使夫人の手記で、明治時代の宮中の皇后や女官のドレスは、外国人からみると、当時の感覚でもかなり時代遅れなデザインだったと書いてあったので。

生地は外国で買って、日本で作ったのかな?と思ってた。


まさか生地も日本で作っていたとは。

殖産工業は伊達じゃないですねー。爆笑



 トレインの供奉について記述があります。