大聖寺で、昭憲皇太后(美子皇后)の着たロングドレスが、5年の修復を終え蘇った。
(こちらはトレーン表記で良いと思いますけどね。
まあ確かにトレインだけど。)
ナポレオンの妻、ジョセフィーヌが大礼服を広めた。
「赤紫色は権力の象徴です。」
そうなんだ。
戴冠式の絵。
結局、日本の一般女性が洋装化するのは、戦後だったとか言いますよね。
戦中にもんぺ履いてたくらい?
祖母も戦前、学校に行く時だけ洋服着ていた、と言っていた様な。
皇后「国の為なれば何でも致す」
洋装が進んだ現代では、逆に和装する事が国の為になると思いますけどね。
大礼服(マントドクール)
中礼服(ローブデコルテ)宮中晩餐会で着る様な服
小礼服(ローブミデコルテ)
通常礼服(ローブモンタント)一般参賀で着る様な服
などがある。
長佐古「明治20年の新年拝賀式で着用した大礼服はドイツで作られた」
赤紫のトレインに黒テンの毛皮がついた豪華なもの。
アクセサリーも含めて15万円(7億円)。
ロサンゼルスカウンティ美術館のキュレーター、シャロン・サダコ・武田さん。
昔はコルセット作る時に鯨のヒゲ使ってたんだよね。
この小説で知った。笑
シャロン「おそらく日本のテーラーが、西洋の技術を学ぼうとしたのでしょう」
皇后に採寸の為触るのは畏れ多い、みたいな気持ちもあったんじゃないかな。
外国に任せていたら、きちんとしたボディスが作られていただろうし。
保管の仕方も立体のままで、と教えてもらえただろうね。
何だろう?
スポンジで嵩上げしてある?
英国王立刺繍学校「きめの荒いフェルトを使っています。」
日本の刺繍職人「反古紙ですね。」
反古紙っぽい。
皇后「殊に注意すべきは、勉めて我が国産の生地を用いんの一事なり」
大雨の中、英照皇太后と共に馬車で富岡製糸場へ視察へ行った。
凄い情熱。
🍀誰が作ったのか?
トレインのバラの織り。
日本の織物職人「能装束とは違う織り方、ヨーロッパで織られたのではないか」
リヨンの学芸員「リヨンの技術で作られた事は一目瞭然だと思います。
ポワンドバークレと呼ばれる、リヨンの典型的な織り方です。
日本人がリヨンに来て必死に学んでいたら可能かもしれませんが。
技術を習得するのには最低5年は必要です。」
そんな日本人いるわけ・・・。
足利工業学校で見つかった履歴書。
明治11年、リヨン織物学校入学
明治15年、リヨン織物学校卒業
その人物は近藤徳太郎、当時23才。
いたー!
留学後、京都織物会社に入り、その会社に美子皇后が訪れていた事が分かった。
明治宮殿に京都織物会社の織物が使われていた。
一条家の中に物見櫓があり、京都の庶民の暮らしを勉強していた。
突然のボンボニエール講座。笑
🍀どんなシーンで着られたのか
1889年2月11日、大日本帝国憲法発布式のドレスはピンクだったが、夜会のドレスは「Gala uniformen 特別な礼服」「weiss goldnen白と金」と言う記述がある。
(確か明治時代に赴任した)大使夫人の手記で、明治時代の宮中の皇后や女官のドレスは、外国人からみると、当時の感覚でもかなり時代遅れなデザインだったと書いてあったので。
生地は外国で買って、日本で作ったのかな?と思ってた。
まさか生地も日本で作っていたとは。
殖産工業は伊達じゃないですねー。
トレインの供奉について記述があります。