蒼い空、白く浮かぶ雲、乾いた風、白い日差し。
5月の終わり、夢など見果てぬものと、とうの昔に捨ててきた。
定まらぬ眼差しは、見えるものも見失い、灯火のない山道を下るような足元を転ばぬようにと漂っている。
安息の場所などありはしないと、粋がっていても、居眠り誘うこの風の中では、眉を動かす隙間も無い。
時間は遅く、時は速く、時代などいつの間にか過ぎていく。

歩くことに飽きもせず、落ち着くことを嫌っても、とどのつまりは諦めを覚えるだけで、「さよなら」を見つけては拾ってる。
影が長くなって、白かった日差しがセピアになり始めたら、今夜の寝床を思い描く、今日も明日も明後日も。
そして昨日もそうだった。
どこまでも蒼い冬の空の下、行ったり来たりするばかりで虚しくなっていく。

「正しい」とは何だろう。

私が見えているのはどの辺りなのか。

川面に映る青空と川面に沈む川底が歪んで重なっている。混ざることなく、溶けることなく。

日々淡々と過ぎ去っていくように思うのは、強烈な幻想と感じることで、もしかしたら時間を体感するのだろう。

誰もいないなんて叫ばなくてもいい。己がいるじゃないか。
いつまでも。
丸い円の影は、球体とは限らない。
正解の無い答は、風に舞っている。
寄りどころの無い想いは、漂い行きつくあても無い。
掴むものは、一体何なのか?
空にも海にも立てやしない。
悲しみに溢れ、怒りが満ちている地の上でしか人は立てない。
暗闇の恐怖なら、立ち尽くすだけ、足元もおぼつかない霧の不安は、狂気をおぼえるのだろう。

誰が何処に行くのか?
何が何時来るのか?

時間さえ頼りにならない。

そんなことならいっそのこと自分だけの世界で自分だけで生きていければと妄想してみる。きっと寂しさを越えることができれば、それもいいかもしれない。

目撃者としてだけ存在できるなら、虚しさなど感じずに済むのだろう。

今を生きていく者は、誰だって当事者となり明日を夢見て過ごす。
答が夢であるかのように。