それって人権侵害だということに気づいてますか?
私の場合ですが、51年経って「あ、これって人権侵害だったのね」と改めて気づいたことがあります。
それは母親からの「言葉」です。
母は私にだけ「お前」といいます。
「おまえ」ならまだいいのですが、エスカレートすると「おめえ」「てめえ」になります。
そして喧嘩モード、怒りモードになると「馬鹿かおめえ」「馬鹿かてめえ」といいます。
それは二人だけの時だけでなく、人前でもいいます。
私は幼いころからそう言われてきたので、「ああ、またか」程度だったのですが、それを傍で聴いていた叔母は「なんてことを言うの?」と怒っていたそうです。
多分周りで聴いていた親戚たちもそうだったことでしょう。
私は母に言われても、人にはそんなことは言いません。
だって言われてとっても嫌だから。
そんな嫌な言葉を人に言うのも、自分で口から出すのも嫌です。
でも、母は口に出します。
私はそれを言われるたびに心がぐっさり傷つきます。
何度言われても、何十年言われても、慣れることはなく言われるたびに深く傷つきます。
言葉の暴力は、体の暴力と同程度のダメージを受けるそうです。
脳は言葉の暴力と身体の暴力と、同じ個所がダメージを受けるのだそうです。
だから、言葉の暴力というのは体と同じくらい傷つき、痛み、心にも体にも深く傷を追うのです。
私はそれを知ったのはほんの最近で、ああ、私の心はボッコボコにされていたんだなあと気づきました。
そして私は誓いました。
私は私を守る、と。
もう母からの言葉、暴力から逃げます。近づきません。シャットアウトします。スルーします。
どんなに親子でも、言っていいことと悪いことがあります。
てめえ、おめえ、バカじゃねえの、ふざけてんじゃねえよ、ぶっ飛ばすぞ、このやろう。
この人には言っていいけど、この人にはダメと、人を見て言う言葉ではありません。
どんな人に対しても、ダメなものはダメなのです。
母は、前にも話しましたが悪気というよりも甘えがあって、私にこういうことを言うのかもしれません。
私だったら、娘だったら許されるだろうと。
でも、私は許しません。どんな人にも、こんなことは言わせません。
私はこんなことを言われる覚えも筋合いはないですから。
そして、母と小さなことも大きなことも含め、いさかいがあったとき、私は過食嘔吐に走ったことを思い出しました。
それは母に愛してほしいから、ということではなかったとも気づきました。
受けた体と心の傷が、反抗していたのでしょう。
こんなことを言われてもされても、娘だからと親の心配をする。
心配をしない娘は非道だ、親との脳内の記憶をやり直さない限り、自分の成長は見込めない、そんなことが頭をぐるぐるよぎり、しなくてもいい心配をし、声をかけてしまい、また怒鳴られ断られ、傷つくというループから、早く抜け出せ!とサインを送っていたのでしょう。
25年間ずっと、私の体は「早く気づいて!」と教えてくれていたのです。
それがようやく、51歳になり、摂食障害から26年経った今、気づくことができました。
吐いていたのは、母からの仕打ちを受け止められなくて吐き戻していたのです。
暴力の代わりに欲しかった愛情をパンやお菓子やアイスに変え、愛情を受け取って心や体の栄養にして成長する代わりに、言葉や体の暴力は受け入れないとばかりに、吐いていたのです。
ようやく私は納得がいきました。
そうだったのね。よく自分はこれまで我慢してきたね。
私は自分を抱きしめてねぎらいました。
そしたら私の中のインナーチャイルドが、とても喜んでいるのが分かりました。
どんなに母親でも、父親でも、配偶者でも友達でも、愛情が一方通行であれば、その愛情がゆがんだものと思うのであれば、その人から愛情を受けることはもう、見切りを付けましょう。
そして自分の心が健全に、安全になる場所へ一刻も早く向かいましょう。
それは何も、離婚したり家出したり、絶縁したりということではありません。
心の距離をおくのです。
できれば物理的にも、一緒にいる時間も減らせればなお善しです。
時間を減らすのは難しいと思うかもしれませんが、習い事をするとか、本を読むとか、絵を描くとか何か自分のためになることを見つけて、その時間に充ててみましょう。
そうすれば、電話の回数もメールの回数も減らせます。
心の中でいつまでも渦巻いていた負の感情も減らせます。
私は自分をもう二度と、危険な目にさらさないと決めました。
自分を大切にしていなかったわけではないのです。
「親」という見えない罠に引っかかっていただけなのです。
この見えない罠の仕組みに気づいた今、私は本当に荷が下りました。
どっしりと自分にのしかかっていた重荷がなくなりました。
見えない罠が私に過食嘔吐を引き起こさせていたことを知り、真の意味で過食嘔吐、摂食障害が終わったと断言します。
もう偽物の愛を求めて偽の愛である食べ物を欲しがりません。
もう自分が受け入れられないことを、無理に自分を押し殺してなだめて、受け入れることもしません。
摂食障害のある人は、親子関係特に母親との関係になんかしらの問題があると思っています。
私のような事例もあるでしょうし、仲良し姉妹のような親子関係もあるしょう。
どんな状態にしても、摂食障害があれば自分の心のセンサーが注意信号を送ってくれているサインです。
どうか見逃さず、もう一度子供の頃からの出来事を振り返ってみてください。
当たり前だと思っていたことが、実は深い深い傷になっていることがあります。
あなたを救えるのは、あなただけです。
サインに気づく方法は、違和感です。
摂食障害を終わらせるんだ!という強い覚悟があれば、そのサインがどんどん表れてくれます。
どうかもう、見えない罠から脱出しましょう。自分を安全で安心な場所に、連れていきましょう。
ひとりではできないと思うのであれば、私がお手伝いします。
どうか怖がらず、SOSを出してくださいね。