おはよう私!!笑 


お金って、特に1万円て、手にすると嬉しいものなので、諭吉がもっと笑ってたら良いのに(チェッ)と、思いました。

笑って受け取って、笑って経済回してーーー
そんな1万円。

どうでしょう。
お年玉袋から出てきたお札が、笑ってる日本🤣




あ、あと、前回の記事のおまけなのだけど、

父の遺骨ネックレスを作ってもらって、本当にこれが、私の心の1番の供養になってる!

分骨とかそういうの、よくないっていう人もいるけど、父の、というより、私の心の穴を埋めてくれて、身に付けているとどんなお守りより心強い。

あと亡くなる前に色々出かけられなかったから、亡くなってから身につけて家族で出掛けたりすると、一緒に連れて行ってあげられてる気分で、とにかく悲しみを和らげてくれてるので、作ってもらって良かったなと思ってます☺︎!


作ろうか迷ってる方がいたら、参考までに♡




明日納骨です。


遺骨を家に持ち帰る日、家に遺骨があるのってどんな気分なんだろって思ったし、父のいる安堵とともに、やはりちょっとした怖さも少なからずあったのに、

今は遺骨を納骨するのに寂しさを感じるなんて。。


人の順応性って本当すごい。


実際あの世があるかとか、成仏してるかなとか、そういうことは分からないし、眠ってる時に起きてる感覚がないように、また仏教での“無”の示すところのように死後は無なのかもしれないけど、

生きてるこちら側からすると、別れというのは何度だって悲しい。


別れは亡くなった時の別れ、火葬する時の別れ、それから納骨する時の別れ、と、3回用意されていて、どれも悲しい。


どうか安らかに、そして魂として、1番キラキラしていた頃に戻り、幸せにあって欲しいと願う子供心です。


後一息、頑張るぞ。


みんなが乗り越えてきた出来事、そして乗り越えて行かなからばいけない出来事、、


頑張りましょうビックリマーク

久しぶりにこんな投稿ですが自身の記録と、
これから悲しみを乗り越える方の手掛かりになれたらと思い不謹慎ですが父の死の記録を。

14日の朝、父が逝去しました。
悲しみは最初は浅く、、時折沼がありハマってしまうのですが、父は覚悟の時間を随分ゆっくりと長く作ってくれていたので、受け入れやすくはなっていました。。
でも、悲しい!

葬儀は泣く間も無く忙しいと聞くけど、泣くタイミングを後手後手にしているだけで、忙しくても泣けた。悲しかったし、父の死をどんなに受け止めていても、父の周りの方々が聴かせてくれる言葉や思い出の温かさに触れると安堵して、泣いてしまう。

父の遺骨と自宅へ帰るとき、父の笑顔の写真を額へ納めるとき、辛さはピークでした。もういないんだ、という実感は、身に堪えるものでした。

でも、父の遺骨と自宅へ帰ると、なぜか、すごく『いる』気配がするというか、なんだか分からないけど、家族プラス1人の気配があって、
魂って本当にいて、ちゃんと一緒にいてくれるんだという不思議な、なんというかとても不思議な、人ではない何かの存在感というか、温もりのような不思議な空気、が家にあるのでぜひその記録をと思いここに残したいと思いました。

不思議な事に、この感覚を覚えていたのが私だけではなく夫もだったので。。

父の遺骨を自宅へ置いて、おつかいに出た時に車で夫に『なんか父がいるような』と私が話し始めると『あ、俺もそう思ってたんだよね』と珍しくはっきりと夫が言った。『なんだか分からないけど、いるっていう感覚がある』と。
その後家に帰ると、つけたままだった家の灯りも、なんというか、気のせいかもしれないけれど誰かがいる明るさに思える。これも夫も同じように感じていたようで、、

魂って本当にいるのかもしれないなぁ。
それか、人の心って、こんなあっという間に洗脳されてしまうというか、信仰心の存在なのか。。不思議な感覚で、こうして魂がいるという説が世に沢山浸透しているのかなと思いました。

ですが、本日火葬から2日して、朝、父の後祭壇から、父の気配が消えたんです。
写真がしっくりと馴染んでいるというか、、

私の心が、環境に慣れたのか、受け入れたのかもしれないけど、
「あ、父が理解したんだな」というような、死が合致したというか、そういう朝でした。

でも悲しい。


身体の重さが、疲れなのか悲しみなのか分からなかったけど、また日常を取り戻していく日々が始まります。