本日誕生日でーす。誕生日は毎年夫からあり得ない方のサプライズを受ける私です😂
夫は誕生日を祝うことはないです💡
『プレゼントとか何もいらないから“おめでとう”って言って💗』ってお願いしても『あぁ』です😂 何度頼んでも、『わかった』と『あぁ』です。そして何度か頼むと、不機嫌です。やな感じ!
アスペルガーは生きにくさを感じてるとかよく見かけたり、耳にしたりするけど、私からみて、アスペルガーは、生きにくさを感じてません。生きにくさを感じる繊細さがあれば、きっともっと話が進むのではないかと。自分のズレを困り感として分かるって、通常の感覚ではないでしょうか。そこすら感じることができないレベルなので、
配偶者は戸惑い続け、カサンドラへ追い込まれるのではないかなって思います。
『生きにくさを感じることのできる人』前提での話と、
『生きにくさを感じる空気を読む事もできない人』前提での話だと、
そもそものスタートラインが違います。
違うスタートから始まった話が、共感を呼ぶはずもなく、『ちがう、そうじゃない』状態に入り込みます。
はい、ここ、カサンドラの入り口でーす🚪
いらっしゃいまへ。
スタートが違うことを説明するための労力‼️そこのすり合わせだけでカサンドラ、グーーーン⤴️⤴️です。笑
ただ、アスペルガーと暮らしたことのない人にとっても、みた事もないスタートラインを、どれだけ伝えても、それは、みたことのない人にとっては想像で、人によっては、幻影です。
カサンドラって、そういうこと。
まさにこれって、『世にも奇妙な物語』
或いは『信じるか信じないかはあなた次第です』の話で、
あれも、観てる分には、聴いてるぶんには“あり”だけど、実際の身に起きたら“なし”ですよね。あり得ない話と思ってるから受け止めてられている物語ですね。
カサンドラは、その、物語の中に入ってしまった人だと思ってもらえたら、私たちカサンドラ症候群の心境に近いかなと思います。
異次元に戸惑う、自分がおかしいのかなと錯覚する。そして自分を疑う。でも、状況としては、状況そのものが、いびつです。でも、それは普通に暮らしている人にとってはまるで『世にも奇妙な物語』
つまり、カサンドラの方も、アスペルガーとの暮らしを誰かに話すときはそのくらいのことであるって、理解して話さないと、聴こうとしてくれる人のことも、傷つけてしまう可能性がある、ということですね。
私自身、こうして、『分かってもらえない』ことに余計自分を責められる気分になって、心閉ざして、力になろうとしてくれた人を傷つけたことがありますが、これはとても悲しい記憶です。
聴く方も、伝える方も、笑ってその時間を乗り越えていける環境なら、きっと随分違うのかもしれないですね。
【カサンドラ症候群の人が対峙しているのは、配偶者ではなく、自分自身】であること、ここを見落としてはカサンドラを追い込んでいくだけになります。“焦点は、アスペルガーの配偶者ではなく、カサンドラ症候群に陥ってしまった本人”への、【自責の念】です。
この事に、どれだけの人が気づいているでしょうか。。。

