さっきの続きにもなります。

キーワードは“世にも奇妙な物語”と、“自責の念”。


・・・タモさーん!!    ストーリーテラーがいてくれたならね。笑  


なんで、いびつな世界の中で、自分を責めないといけないの?っていう話です。笑
あっちが悪いのに、こっちが責められる。こっちのキャパシティの狭さを言われる。
それ、あり得ますか?


そこでカサンドラ症候群を追い詰めるNGワード『期待をやめれればよいんだよ』

慰めるつもりのこの言葉こそが、カサンドラ症候群を追い詰める追い詰める。
期待して、期待外れに怒ってるという、そんな風に幼稚な印象を持たれていることにも心外なんです。

期待ってなんでしょうか。私、今ここで躓いています。
期待ってなに?カサンドラ症候群に陥っている人に共通していえるのは、たぶんもうみんな、期待はとっくに手放してます。

もっともっと遡ると、元々、“相手へ期待する”ことと無縁のところにいた人が多いのではないかと思います。だからこそ、カサンドラのみなさん、“アスペルガーと結婚”というステージまで進めてしまったのかなって。相手に期待して、期待外れに怒る人なら、そもそもアスペルガーのマイペースな特性を、受け入れられないと思います。


じゃあ自分の責任ではと言われると、そうなんです。“その人を選んでしまった”“見抜けなかった”自分の目に、そもそもがっくし感を味わってます。

ただ、恋愛と生活は別です。お金や命という、一緒に守っていかないといけないポイントがいくつも現れます。この、一緒に、がミソですね。。


ここの報連相は、“期待”でしょうか?


私の例でいうと、また次の記事に続いていくはなしになりますが、
夫は返事をしません。お願いした事も、してくれません。
返事をしない理由は『人の話に全部返事をするのは不可能』だからだそう(これは結婚11年目にして、先週やっと夫が理由を言ってくれました)で、
お願いしたことをやらないのは『俺のタイミングじゃない』から。
息子が大型犬に悲鳴をあげて追いかけられていたとき、息子のすぐそばにいた夫に私が『パパ助けて‼️早く‼️お願い‼️』と言ったのに、薄笑いを浮かべて眺める夫は異様でした。そのあと、飼い主が捕まえてくれたので噛まれたりはしませんでしたが、
あとで理由を聞くと『嫌がってると思わなかった』『タイミングじゃなかった』そうで。


これを例にするのは極端かもしれないけど、こういう人に、期待するしないの話とは違うと思うんです。


お願いが通らないのは別に仕方ないです。
断られるならべつにそれでよいです。ただ、提案やお願いという、分かりやすく伝えても、それに関してOKなのか、嫌なのか、これすら答えてもらえない。ここは“期待”というか、人としての基本ルールのところではないでしょうか。

それさえ期待せずに、返事さえしないものとして関わってしまったら、結果、家庭は機能しない。つまり、離婚か継続か、そこにいきついてしまい、常にカサンドラは迷うのでした。


逆に聞きたい。期待ってなんですか。みんな人に、そんなに期待しながら生きているのでしょうか?

それぞれが違う環境で育ち、違う価値観を持って暮らしているのに、そんなに思い通りのシナリオに動いてもらうことだけをイメージして自分の行動をとる。この感覚が、そもそも無かったです。
担当が振り分けられていないことであれば、『やってあるかもしれないし、やってないかもしれない』友達へのお願いやお誘いでも、『頼むのも誘うのも、それはその人の自由、断るのも、引き受けるのも、それもその人の自由』
相手の回答を予想して行動するって、すごく依存的で、自分に責任のない状態。私に無かった感覚です。

でも、期待するなっていう人が口を揃えていう、夫はお金を入れてくれるだけの人。これは期待ではないの?ここも、カサンドラ症候群の人たちは、諦めてる人が多いのではないかなって思います。

諦めて手放して、期待をしない、だけど、アスペルガーの夫は、私にに“期待”をやめません。(期待というより本当にそうであると疑いません。家出をしても、帰ってきて当然なので心配はしない)たぶんこのフェアじゃないところが重たい足枷なんでしょうね。


さて迷宮入り。期待しないって、期待を手放せって、これ以上の何を、手放したらよいのでしょう。

カサンドラにとって、期待を手放せとは、つまり、究極的に離婚です。

カサンドラ症候群の方にも、そうではない方にも、ぜひ聴かせて欲しいです。期待って、何を指しているのでしょう😭

本日誕生日でーす。誕生日は毎年夫からあり得ない方のサプライズを受ける私です😂 

夫は誕生日を祝うことはないです💡

『プレゼントとか何もいらないから“おめでとう”って言って💗』ってお願いしても『あぁ』です😂 何度頼んでも、『わかった』と『あぁ』です。そして何度か頼むと、不機嫌です。やな感じ!



アスペルガーは生きにくさを感じてるとかよく見かけたり、耳にしたりするけど、私からみて、アスペルガーは、生きにくさを感じてません。生きにくさを感じる繊細さがあれば、きっともっと話が進むのではないかと。自分のズレを困り感として分かるって、通常の感覚ではないでしょうか。そこすら感じることができないレベルなので、

配偶者は戸惑い続け、カサンドラへ追い込まれるのではないかなって思います。


『生きにくさを感じることのできる人』前提での話と、

『生きにくさを感じる空気を読む事もできない人』前提での話だと、

そもそものスタートラインが違います。


違うスタートから始まった話が、共感を呼ぶはずもなく、『ちがう、そうじゃない』状態に入り込みます。


はい、ここ、カサンドラの入り口でーす🚪

いらっしゃいまへ。



スタートが違うことを説明するための労力‼️そこのすり合わせだけでカサンドラ、グーーーン⤴️⤴️です。笑


ただ、アスペルガーと暮らしたことのない人にとっても、みた事もないスタートラインを、どれだけ伝えても、それは、みたことのない人にとっては想像で、人によっては、幻影です。



カサンドラって、そういうこと。



まさにこれって、『世にも奇妙な物語』

或いは『信じるか信じないかはあなた次第です』の話で、

あれも、観てる分には、聴いてるぶんには“あり”だけど、実際の身に起きたら“なし”ですよね。あり得ない話と思ってるから受け止めてられている物語ですね。

カサンドラは、その、物語の中に入ってしまった人だと思ってもらえたら、私たちカサンドラ症候群の心境に近いかなと思います。

異次元に戸惑う、自分がおかしいのかなと錯覚する。そして自分を疑う。でも、状況としては、状況そのものが、いびつです。でも、それは普通に暮らしている人にとってはまるで『世にも奇妙な物語』


つまり、カサンドラの方も、アスペルガーとの暮らしを誰かに話すときはそのくらいのことであるって、理解して話さないと、聴こうとしてくれる人のことも、傷つけてしまう可能性がある、ということですね。


私自身、こうして、『分かってもらえない』ことに余計自分を責められる気分になって、心閉ざして、力になろうとしてくれた人を傷つけたことがありますが、これはとても悲しい記憶です。



聴く方も、伝える方も、笑ってその時間を乗り越えていける環境なら、きっと随分違うのかもしれないですね。


【カサンドラ症候群の人が対峙しているのは、配偶者ではなく、自分自身】であること、ここを見落としてはカサンドラを追い込んでいくだけになります。“焦点は、アスペルガーの配偶者ではなく、カサンドラ症候群に陥ってしまった本人”への、【自責の念】です。


この事に、どれだけの人が気づいているでしょうか。。。



連休中のお洋服を、いくつか。

白いパンツとも、黒いパンツとも合わせやすいお気に入りのトップス!

久しぶりのお友達と会った日に。子連れで公園。足元はもちろん、スニーカーに履き替えました👟
車移動の時は、
スニーカーとヒールを、二個持ち!



こちらはワンピース!
ニットの半袖って、着る時期迷っちゃうけど、今が着やすいかな。
イエローゴールドのネックレスと、イエローゴールドのフープピアスで強めにコーデ。

今日はこれ!

お洋服が本当に大好き。