あらかじめ断っておくが、これは後述の本の具体的な文言の批判ではない(現時点では、一部立ち読みしただけ)。それでも、この本の基調となっている「戦前の日本は朝鮮に良いことをした」という主張の根本的な問題点を明らかにしたつもりなので、ある意味、全面的な批判だ。
ところで、近代化という一面を取り上げて、「良いことをした」と主張する際、その「良いこと」のレベルが、どこまで事実を反映しているかは、別途検証する必要がある。例えば、次のサイトを参照。ここには批判的なデータが掲載されている。(このブログはその検証が目的ではないから、紹介にとどめる)
http://www.wayto1945.sakura.ne.jp/KOR10.html
さて、本題。日本が朝鮮の近代化に一定程度貢献したとして、「それって誰のため?」という話。別の言い方をすれば「日本が朝鮮を近代化しようとした目的は何か?」である。
慈善事業? はたまた博愛精神? それならある程度胸を張ることもできるかも知れない。「勘違いしただけ。心から良いことをしようとしたんだよ」と。
残念ながらそうではない。朝鮮近代化は「日本のため」「日本の都合」である。
「日本の都合」とは、以下の通りだ。戦前の日本は、遅れて登場した帝国主義国だった。他の帝国主義国によってほぼ世界の植民地の分割は終わっており、日本の植民地はごくわずかしかなかった。
日本が国力を増すには、朝鮮を急速に近代化、工業化する必要があった(資源の量からみて、朝鮮は資源収奪の場とはなり得なかった)。朝鮮人を近代産業の労働者として、いやいや働くのではなく心身ともに日本に捧げるような「皇国臣民」に仕立て上げる必要にせまられた(戦争の進行にともない、兵士として日本軍に加える必要も出てきた)。
そのためのインフラ整備であり、学校教育だった。インフラが整っていなければ近代的な工場生産はできない。「皇国臣民」としての価値観を植え付けるのには、教育=学校が必要だった。
ちなみに、「植民地政策」と言っても様々な類型がある。歴史の段階によっても、宗主国や植民地の事情によっても、そのあり方は異なる。日本以外のすべての国が「略奪型」だという理解は間違っている。
例えばブリタニカ大百科国際大百科事典の「植民地政策」の項は以下の通り。
いずれにせよ、戦前の日本は、博愛精神からではなく、自らの一方的な必要性(=大急ぎで国力を強くしたいという欲望)に基づいて、朝鮮を近代化しようとした。このことの意味を考えよう。
例えば酪農家は牛を育てるために、牧草を植え、柵を作り、牧場内の危険物を取り除く(=インフラ整備)。健康を管理し、必要に応じて薬なども与える(=医療を施す)。それは牛に対する博愛精神からではなく、乳や肉として出荷し、自らの生活の糧とするためである。ベースに牛への愛情があることは間違いないが、しかし、自らの必要性によるものであることもまた同様だ。
自分のためにやることなのだから、酪農家は牛に対して恩着せがましく「良いことをした」とは言わないだろうし、さらには「勝手に牧草を食べさせてごめん」などと嫌らしい言い方もしないだろう。牛への愛情があればなおさらである。
さらに続ける。かつての北朝鮮が、国家として外国人拉致を行ったことは明らかであり、北朝鮮当局もそれを認めている。拉致は北朝鮮の身勝手な「必要性」から行われたものだ。
仮に、北朝鮮が拉致被害者(または、国家としての日本)に、次のように言ったとするとあなたはどう思うだろうか。
「住むところも与えてやった。子どもを学校に通わせてやった。朝鮮語も教えてやった。一般の朝鮮人よりましな暮らしをさせてやった。我々は良いことをした」
こんな勝手な論理はない。拉致は北朝鮮側の必要性によって行われたものである。戦前に日本の侵略行為があるとしても、戦後に特定の日本人を拉致してよい理由にはならない。この論理は、自らの非を認めようとしない者の言い分である。誰もが許せないと感じるだろう。
仮に述べたこの例なら、「良いことをした」論の身勝手さは理解できるだろうか。しかし、「戦前の日本は朝鮮に良いことをした」「勝手に近代化してごめん」もまた同様であることに気付くべきだ。
相手に「良いことをした」としても、自らのためにしたのであれば、相手に恩を着せるのはおかしいのだ。「相手に良いことをした」のは、それが「自らの欲望を満たすための手段」だったのだから。
結論を言えば、「手段」を「目的」のように描くのが、「良いことをした」論のインチキである。いくつかの手段を組み合わせた中の一つに、「良いこと」があったにすぎない。同じ「良いこと」でも、「日本の国力を高める」という目的に反するようなことは行われなかった。そして、他の多くの「良くなかったこと」とセットになっていたことを知るべきである。
「良いことした」論は、特定の一側面を強調することで、それが目的であったかのように誤認させ、他の「良くなかったこと」をぼかし、全体の評価を誤らせるための議論である。
「良かった」「良くなかった」などの総括をするなら、事実に基づくことはもちろん、全体を視野に入れて評価することが大切である。特定の一面だけを誇張する議論にだまされてはならない。
ネットで参照できるいくつかの資料を載せる。「日本が朝鮮でしたことは、良いことだった」などという評価は誤りであることを理解して欲しい。
◆水野直樹(京都大学教授)「日本の植民地支配をふりかえる」2004年11月19日
第3回 多民族共生人権啓発セミナー
「同じように徴用されたとしても、朝鮮人の動員先は工場ではなく、炭鉱や鉱山、土木の現場だった」
http://www.taminzoku.com/news/kouen/kou0502_mizuno.html
◆「日本統治下の朝鮮の社会と経済をどう見る か 一「開発論」と「収奪論」を越えて一」(鄭 在貞・ソウル市立大学教授)(pdf ファイル)
(ちなみに、日本の一定程度の貢献を認めた上での発言である)
◆植民地期朝鮮・台湾における治安維持法に関する研究(水野直樹・京都大学教授)
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-08610333/
「日本国内では、28年から38年までの間に治安維持法違反で無期懲役を言い渡された者はわずか1名だったが、朝鮮では39名に上っている。懲役15年以上の刑について見ても、日本が7名であるのに対し朝鮮は48名となっている」(水野直樹)
最後に、この本を批判的に読んだ人の感想を。
ロマン優光のさよなら、くまさん
連載第86回 百田尚樹『今こそ、韓国に謝ろう』よんでみた
http://bucchinews.com/mobile/subcul/6118.html

立ち読みした感想で言えば、「買って読むだけの価値はない」「ヘイト本の売り上げに貢献したくない」に尽きる。しかし具体的な文言について検討を加えるなら、手に入れざるを得ない。悩むところ。









