袴田事件の冤罪は決定していないが、ほぼ裁判所が警察の証拠捏造を認めたと言える。

土曜のTBS報道特集では関与した裁判官の声が取り上げられた。

無罪と思っていながら、有罪判決を書かされた話など

司法という組織の硬直性を表している。

下っ端?若手?が文書作成を押し付けられる??

3人の裁判官で見解が異なる場合など判決文を書くのは

当然、多数派が書くべきと思うが、この事件では

少数派に押し付けられた事が良かったと言えるらしい?

 

で、小生が思うのは司法ではなく、警察の問題だ。

味噌桶の中に血痕の付いた衣類を隠したとして、新たな証拠として提出された。

この様な証拠捏造を最終的に確定したとすれば

明らかな違法捜査、それどころか、これは犯罪だろう。

末端の個人の捜査官の仕業ではなく、捜査署全体が関与・決定され、

実行されたと見るのが当然だろう。

 

警察組織とは何か?

どういう組織か?

ストーリーで捜査、決めつけて、犯人に仕立てる、自白を強要する、など

この事件に限らず、警察の捜査手法、在り方そのものが問われねばならない。

その上に証拠まで捏造するなど、社会的に許されない行為だ。

番組での裁判官の発言からして、この手の捏造はかなりの頻度であると思わせた。

そうであるなら、日本国の警察とは常習的に犯人創作をしているとなりかねない。

 

小生は官僚がその業務において責任を問われないという日本国の常識に

常々疑問を持っている。

官僚が政治家を思う様に動かしているのが日本の実態ではないのか?

情報・知識など圧倒的に有利な立場で、賢明なる判断をしている場合もあるが

その結果を問われるのは政治家だというのは変ではないか?

操り人形を動かして、怪しくなると、担当部署替えで逃げ去る。

 

しらを切り、組織を守る、組織優先で国を揺るがすどころか、滅したのが

戦前戦中の日本の官僚だ。

この官僚的思考、その無責任を戦後の日本はそのまま続けているのだ。

日本国の警察など江戸時代的捜査手法と何処が違うのか?

拷問で自白の強要だ。

拷問の仕方が近代的?長時間、親兄弟・子供を脅かして自白させる??

呆れた話だ。

 

袴田事件に警察が控訴しないとすれば、警察がこの犯罪を認めたことになる。

だが、控訴したとすれば、まだ続けるのか?との批判が集中するだろう。

何れにしても、この警察の窮地を招いたのは自作自演の末路であり、

自業自得なのだ。

 

この警察という組織、ひいては官僚の無責任を日本は変えなければならない。

漫然と同じことを繰り返す日本ではあってはならないと老人は思うのだが、

若い人はその繰り返し回数を知らぬのだろう。