大みそかは、紅白でなくて、浅草ロックフェスだった | [GeishaSamurai]  芸者の気持ちと侍の精神を持つ男

大みそかは、紅白でなくて、浅草ロックフェスだった

しかし、紅白はつまらないと思いながら、思い出がよみがえる。


今、五木ひろし、「横浜たそがれ」がヒットする直前、


わがふるさと、小金井長崎屋の屋上にラジオの公開ナマできた。


永虎は、五木の質問に確か答えは「マグナカルダ」で、なんかもらった。


きっと、中学生だろう、しかし五木は漢字が読めなかったんだけ覚えている。


そのご、下のレコード屋には五木サイン入りの「横浜rたそがれ」のEPが


横済みされていた。


1982年矢沢永吉「PM9 武道館」のビデオを見ながら紅白


マイケルのライブは、ほんとにすごかった、初来日の初演後楽園


ドームになってからの、映像を馳駆し太舞台。


しかし、なぜ紅白でやるのかスマップが、わからない。


俺の中の矢沢永吉、PM9のビデオをみながら、


LPなら「KAVACH] 武道館なら「1980年 6月 THA ROCK]


この時間が、一つの区切りだと実感した。


今、アリス、当時はラジオの無料公開放送で、アリスや泉谷しげるやRCや杉田次郎を


見に行っていた。中央線ぞいのライブハウス、OZや曼荼羅は今は無い


中島実嘉にかわった。COACHと仕事した直後に、東京体育館のライブの招待席をもらった。


当時の部下に聞くと中島実嘉はみんな知っていたが俺は知らなかった。


ライブはどうでもよかったが、その後の六本木パークハイアットのパーティーは行きたかった。


アメリカンなパーティーはこんなものかとびっくりしたのを覚えている。


日本と違って、どこがスタートか分からないのだ。2階のフロワーを貸し切り。


最後まで、誰かが舞台で何かを話すシーンがないのだ。


時計が12時を回ったころに、「内田裕也」が入ってきた。


たまらず、永虎は駈け寄ったラ、直前で人口の川に落ち込んだ。


その時若い奴が、「大丈夫おっさん」 おっさんには参った。


裕也かっこよかった。白髪になるっていたが。


俺の大みそかは、いつもあ浅草国際劇場【今浅草ビューホテル】の


内田裕也主催の「浅草ロックフェスティバル】だった。


永ちゃんは出演しなかったが、キャロルのジョニーやうっちゃん


そして大好きなショケン、紅白を終えて駆けつけたジュリー


裕也の人間になりたい。なぜか人を引きつつける。人が集まる。


&アクティブ 絶頂期のジュリーがテレビで裕也と歌った


「ジョニービーグッド」 覚えている、映像感覚で。


そう、新宿のロフトでシーナー&ロケットのアンコールで


飛び入りで、シーナーと歌った「ジョニービーグッド」


今でも脳裏から離れない。来年は熱さをとり戻そう!