ミョンウンがまだ回答用紙を読んで涙していた頃、
東宮殿に戻って来たヨンは夕食はいらないと人払いをして部屋に閉じ籠もった。
先程までビョンヨンと話していたせいかサムノムの事が胸裏をよぎる。
明日になれば王宮を出て行く。
そんな奴に用はない。
そう思うのに、もう一度会いたい。
会って話がしたいと思う自分がいる。
ーなんなんだ…っー
宴の件でむしゃくしゃしていたヨンはどうせなら最後にサムノムで遊んで憂さ晴らしでもしてやろうと理由を付け、別監の衣に着替えると再び東宮殿を抜け出した。
***
ヨンを送り届け、資泫堂に帰ってきたビョンヨンは今日の夕食はなんだろうと秘かに期待しながら門を潜り、庭の腰掛けに並べられた料理の数を見て驚いていた。
新たな料理を運んできたサムノムはビョンヨンを見、笑顔を浮かべる。
「おかえりなさい、キム別監様!」
「……今日は豪勢だな」
「今夜は特別です♪ あ、どうせならこのままお庭で食べませんか?」
サムノムの提案に、この品数の料理を部屋に運ぶのは二度手間だと思い頷く。
「膳を持ってくる」
部屋に入り装備を解いて楽な服装になると片手で膳をヒョイと持ち外に行きかけてハタと動きを止めた。
「………」
すっかりサムノムに馴染んでしまっている自分に気付く。
ーまぁ…それも今夜限りだー
***
資泫堂を訪れたヨンは庭の腰掛けに料理を置いているサムノムを見つけ近付いた。
「あれ、花若様? どうしたんですか?」
ヨンの来訪に気が付いたサムノムはその服装を見て口をへの字に曲げた。
ー今度はまた別監…やっぱり持ってんじゃないの…ー
「お前こそ、この料理はなんだ」
「ああ、今からキム別監様とお庭で夕食なんです。そうだ! 花若様もよかったらご一緒にいかがですか?」
「なに…?」
ガタンと音がしてヨンが顔を上げると膳を片手にビョンヨンが部屋から飛び出してきた。
「世……!」
言いかけて一旦言葉を呑み「どうされたのですか?」と駆け寄ってくる。
「今、夕食に誘われた」
「え?」
目配せをしたヨンにビョンヨンはサムノムに膳を渡す。
「準備していろ」
「あ、はい」
サムノムが離れたのを確認して2人は腰掛けから距離を取った。
「すぐに戻るつもりで抜け出してきたのだが…探しに来られると面倒だ」
「承知しました」
東宮殿に知らせてこいという命を受けてビョンヨンは「先に食べていろ」とサムノムに声をかけ資泫堂を出る。
「え?」
膳を整えていたサムノムがヨンの側に来た。
「キム別監様はどこに?」
「すぐに戻る、気にするな」
ヨンは靴を脱いで腰掛けに座りそれを見てサムノムも向かいに座る。
「さぁ!」
気を取り直してサムノムはメインディッシュの山鶏の塩茹でをドンと膳の真ん中に置いた。
「これをご存知で?」
「?」
「領議政様のお宅の貴重な山鶏です♪」
最後の晩餐を飾るに相応しい豪華な料理だ。
「領議政……様? 片付けろっ」
料理の出所を聞いてヨンは一気に不機嫌になり山鶏の入った器を乱暴に押しやった。
「まったくもう…人の誠意を無下にするのは相変わらずですね!」
実を言うとサムノムはヨンが来てくれて嬉しかったのだ。
ヨンとは色々あったが明日でお別れかと思うと少し寂しさも感じていた。
「最後の贈り物だというのに…」
「…なんだと?」
小さな呟きを聞き取れずヨンは眉根を寄せ聞き返した。
サムノムは笑顔を浮かべる。
最後くらい仲良く楽しく食事をしたい。
「何か嫌な事があった様ですね」
言って再びヨンの前に山鶏の器を置く。
「どうぞ♪ そんな時に腹ぺこだと余計悲しくなります」
「ふん、腹ぺこだと悲しい?」
何故かその言葉にカチンとくる。
「よいか。皆お前と同じではない、低い地位にいるお前の考えを押し付けるな」
「…………」
黙って自分を見つめるサムノムの目がまるで憐れんでいるようでヨンを苛つかせる。
「私は……空腹を知らぬ」
空腹を知らずとも、いつもどこか満たされない思いがあることをヨンは自覚していた。
憂さ晴らしに来たのに何故こんな気持ちにならないといけない。
ー…来るんじゃなかったー
サムノムは帰ろうとするヨンを見つめながら、なんて寂しい考え方をする人なんだろうと思っていた。
ー…人を思う心に身分は関係ないのにー
「…空腹を感じた事はなくても心の飢えを感じた事は多いはず」
「……何?」
靴を履く手を止めサムノムを見る。
「空腹な者を慰めるのは簡単ですが、心の飢えを満たすのは難しい…何故なら心が飢えた人ほど平気な振りをして嘘をつくからです」
「…黙らぬかっ」
ーお前に何が分かる…!ー
真実を言い当てられ怒りが込み上げる。
反対にサムノムは柔らかな笑顔を浮かべた。
「心が豊かな者にもてなされてみるのはいかがですか?」
ー心が…豊か?ー
「では! この朝鮮の地で最も心が豊かな私、ホン・サムノムの真心をお受け下さい♪」
サムノムは山鶏のもも肉とともに笑顔と真心をこの人の温もりに飢えた若様に優しく差し出した。