ーこ、殺しちゃった?!ー
死んでしまったのかと慌てて近寄って確かめると、オムゴンは鼾をかいて気持ち良さそうに眠っていた。
ーよかった…生きてたー
たんこぶになっているが命に別状はなさそうだ。
サムノムは安堵の息を漏らすと今後の事を考える。
こうなったら覚悟を決めて王宮に上がるしか道はない。
契約を破れば死罪。
どこへ逃げても捕まるだろう。
それよりも一度王宮に参内してから逃げ出す方法を考えよう。
問題はどうやって手術をしたと思わせるかだ。
サムノムは部屋中を漁って真新しいサラシを見つけると細かく裂いて包帯を作り、サムノム用に宛がわれていた部屋にあった鏡を割り布団の上で下衣を脱いでその破片で太股の内側を突き刺した。
「……っ!」
みるみるうちに溢れ出した血を包帯に含ませ、縛られていた椅子の下にばら撒くと小刀にも血を付けそのまま下衣を履いて布団に包まった。
***
──翌朝
目を覚ましたオムゴンは現場の惨状を見て青冷めた。
まったく記憶にない。
「お、俺はまた酒を飲んで刀を執ったのか…この馬鹿野郎! サムノム…サムノム!」
自身で己の頬を打ち、慌てて奥の部屋に行くとサムノムが布団に横たわっていた。
「ぅ……」
「生きてたか…! よかった…生きてた…」
身動いだサムノムに安堵して横に座る。
「先生…お目覚めですか…」
サムノムは起き上がろうとしたが力無く再び横たわった。
オムゴンが恐る恐る上掛けを捲ると股間の周りが血だらけだった。
「!」
間違いなく切ったようだ。
サムノムに聞くと「やはり神業でした」と言われ傷の処置も完璧だと言うのでその言葉を信じる事にした。
「歩けるようになるのは早くても10日後だ、ゆっくり休め…な?」
そして買い物に行ってくると言い残しオムゴンは小屋を出て行った。
「………」
足音が遠離るのを確認し、サムノムはなんとか体を起こす。
割れた鏡には青白くやつれた顔が映っていた。
3日飲まず食わずでこれだけ血を失えば弱って当然だ。
湯を沸かし体を拭くと昨日の残りのサラシを胸に巻いていく。
「はぁ…きつい」
サムノムは胸元に視線を落とす。
年がら年中押さえ付けているにも拘わらず胸は健気に育っている。
物心ついた頃から、女でありながら男として育てられてきた。
その理由をサムノムは知らない。
8歳の時に生き別れになった母はその理由を教えてくれなかった。
教えてはくれなかったけど、何かそうしなきゃいけない理由があったんだと今はそう思っている。
だから男装を続けている。
それに生きるには男の方が何かと都合がよかった。
だが、さすがに成長するにつれ変化する身体はどうしようもない。
だからいつも大きめのダボッとした衣を着て誤魔化していた。
体の線が出れば否が応でも女だとバレる。
下衣を脱ぐと太股につけた傷からはまだ血が滲んでいた。
傷口の血を丁寧に拭い、薬を付けると当て布をして包帯を巻き再び血だらけの下衣を身に着ける。
そして髪を解いた。
美しい黒髪がサラサラと流れ落ちる。
帰って来なければ嬉しいと言っていた養父。
あれから5日は過ぎた。
とうに都を発っているだろう。
「逃げたと思って今頃喜んでるだろうな…どう? 父さん…清々した?(笑)」
笑ったサムノムの瞳から涙がひと粒こぼれ落ちた。
もう2度と会う事はないかもしれない養父を思ってサムノムは目を閉じる。
ー10年間、ありがとう父さんー
涙を拭い、髪を結い直す。
ーさあ、男に戻れホン・サムノム!ー
***
──その頃
雲従街ではサムノムの養父が旅立つ支度をしたまま家の前から動けずにいた。
「親方、もう行きましょう、帰って来やしませんよサムノムは。5日も戻ってないんでしょう?」
「……誰も待っとらん!」
養父は立ち上がった。
自分で突き放したのに、いざ戻って来ないとなると寂しさが込み上げる。
「……」
いや、これでよかったんだ。
サムノムなら1人でも生きていける。
一座の花形を失ったのは痛手だが昔に戻るだけだ。
そう自分に言い聞かせ、それでも何度も振り返りながら養父は都を旅立っていった。
***
ユンソンは留学から戻ったばかりなのもあり、しばらく出仕はせずぶらぶらしていた。
街に出ればあの“男装の麗人”の姿はないかと無意識に探す。
服装は両班だったがあのような人物に心当たりはない。
最近都に移って来たのかもしれないと上流階級の屋敷が多く並ぶ自分の屋敷の近くでそれとなく聞いてみたが手掛かりは掴めなかった。
ー両班でなかったとしてもあれだけの美貌なら噂にくらいなっていそうなのだが…ー
惜しむらくは名を聞きそびれた事だ。
人相書に名前が書いてあった事を思い出して警告板を見に行ったが既に剥がされた後だった。
権力を使って探す事も出来たが人相書が剥がされていたという事は罪は不問に付されたという事。
ヘタに蒸し返すと面倒な事になるかもしれない。
しかし、あまりにもなんの手掛かりも痕跡もない事に夢だったのかと考えたが、肩を抱いたあの温もりも柔らかさも覚えている。
「本当に消えてしまった…」
ユンソンは名も素性も知らない女人を探す自分に軽く笑う。
ーらしくない…(笑)ー
月が変われば久しぶりの王宮だ。
それまでは休暇を満喫するべく趣味の絵を描きに馴染みの妓楼に向かうのだった。