その頃ヨンは両班の若様を装い1人で街に繰り出していた。
 チャン内官は何だかんだ止めるが一庶民が世子の顔を知るはずもなく、余程の事がない限りそう危ない目に遭う事もない。
 それに内官や女官を出し抜いて王宮を抜け出すのはヨンの楽しみのひとつでもあった。

 しかも今回は妹を惑わす不埒な輩を直々に見極めるという大事な使命があるのだ。

「それにしても…今日はやけに賑やかだな」

 見ると遠くに人集りができていて、そこから太鼓や銅鑼の音が響いてくる。
ー大道芸か…ー
 興味を抱いたヨンは見物人の中に加わった。
 皿回しや独楽回しの後、太鼓の音と共に仮面を被った役者が身軽に登場した。

 内官役の男が王役の男にお伺いを立てるが王は“それは府院君《フウォングン》に聞け”と繰り返している。

 “府院君”とは領議政の事だ。

 要は領議政が政《まつりごと》を仕切っているという皮肉だ。
「……」
 そこへもう1人役者が現れた。
 そいつが王にぶつかり王がひっくり返る。
「“せっかく甘やかな花を味わいに来たというのに! こんな汚らしい磯巾着に触れてしまった! ええ~いぺっぺっ!”」
「“ええ~い誰に向かって申しておる! お前はどこの何者だ!”」
「“何だと無礼者め! 私を誰と心得る! お前こそ何者だ!”」
「“こやつ! 余は他でもない…イヤ、お前が先に答えろ!”」
「“私が誰かというとだな、あの王宮の中に入り左へ502歩そして右へ曲がり左へ行ってそのまた先の角を右へ曲がった先にある、クソ宮殿!”」

ー……何だと?ー

ヨンの眉間に皺が寄る。
「“おい、ちょっと待て…よくよく話を聞いてみたら…余は隣に住んでおるぞ?”」
「“何、隣?! ち、ち、父上?!”」
 見物人が大爆笑する中、ヨンは静かに役者を見据えていた。
「“世子?!”」
 ドッと見物人が沸く。
「……っ」
 己が嗤われている事に怒りが込み上げた。
 笑っている民衆にも鋭い目を向けるが歯を食いしばって堪える。
「“こやつめ! 勉学はそっちのけで毎日毎日王宮を抜け出し女道楽に耽りおって!”」

ーこやつら…(怒)ー

 王は内官の腕に自ら飛び乗り、お姫様抱っこをされながら「“私も混ぜろ”」と命令する。
 その情けない王の姿に見物人は爆笑の嵐だった。
 おひねりが飛び交い世子役の男も上機嫌で太鼓を叩いていると

ーもう我慢ならん!ー

「お前達!!!」

 怒りに満ちた声が響いた。
「?!」
 場が一気に静まり返る。
 世子役の男が声がした方に顔を向けた。
 仮面を着けたままだし、遠目なので顔はよく分からないが、どうやら若い男のようだった。
「王と世子を愚弄しタダで済むと…!」
 そこまで言って自分がひどく場違いな所で場違いな事を言っている事に気付き、声が尻窄みに小さくなっていく。
「……思うのか」
 これは民の娯楽だ。真剣に怒る方がどうかしている。
 しかも自分は今現在、実際に王宮を抜け出してきているのだ。
 そこにいる全員から一斉に注目を浴び少し怯むが後には退けない。
「そ、それにその太鼓の音はなんだ! 口ばかり達者で腕は半人前だな! 切れた紐くらい結んでおけ!」
 気まずさに耐えかねヨンはそれだけ言うと踵を返し、要らぬ事を言ったとばかりに足早にその場を去って行った。
「何だよ、紐なら今朝しっかり結んでおいたってのに、何言ってんだ? あの男…」
 男は文句を言いながら仮面を外して太鼓を見るといつの間にか結んでいた紐が解けていた。
「え…?」
 仮面の男はサムノムだった。
ーなんであの人気付いたの?!ー
 まさか、これだけの人の歓声や太鼓や銅鑼の音が鳴り響いている中でこの太鼓の音だけを正確に聞き分けたとでもいうのか?!
 呆然と男を見送っていると
「こりゃ大変だな」
「はぇ?」
 すぐ側で呟く男に目を向けるとチョン・ドッコのお付きの下男が立っていた。

***

 サムノムは強引にドッコの屋敷まで連れて行かれた。
「ちょっと理由を話して下さいよ!」
「いーから来るんだ!」
 部屋に入れられるとドッコが真顔でサムノムに迫ってきた。
「うあぁ! 何ですか?!」
「ぬ…脱げ…! こ………これ…着ろ!」
 被っていた帽子をサムノムの頭に乗せカタコトでサムノムに衣を脱ぐように迫ってくる。
「“自分の衣を脱いで私の衣を着ろ”とおっしゃってるんだ。」
 テンパっている主人に代わり下男が分かり易く説明した。
「若様は緊張されると物凄~く言い淀まれるのだ」
ドッコが勢いよく頷く。
「ああ…はい、そうなんですか…え、でも何故衣を?」
「い……行ってくれ…や…や…山のふも…ふも…」
「“約束の場所である木覓山の麓へ代わりに行け”と」
「そうだ!」
「あ…ああ! では会おうと返書が?!」
 下男の通訳にパッと顔を輝かせる。
「み…身分が……て…て…天…」
 言いたい事がさっぱり分からず下男を見る。
「“身分の差が余りに大きく叶わぬ恋なのでお前が行って代わりにケリをつけろ”と」
「そうだ!」
「ええ?!」
 サムノムは声を上げた。