人身売買は日本でもあるのか? | 小骨の視点

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以前書いた記事「iPad 2」欲しさに腎臓売る、中国少年の検索ワードがこちらのBLOGでは目立ち、やはり皆が関心を寄せる内容だ。


肝臓の相場、ヤミ業者の介入、ドナー待ちをお金で解決して中国で手術する人達など、世界には死に対する克服から資本を恐ろしく出して肝臓移植する人達が大勢いる。


人間、誰だって死にたくない。


死なない為に働き、死なない為に他の生命からエネルギーを貰い生きてるのが現実だ。


食べ物は全て生き物を殺さないと食べられないというのが野蛮な表現だが、これが現実でこれ以外に生きる方法はない。


しかし同じ人間である同士の内臓摘出の相場や子供からも簡単に摘出してしまう事実はさすがに躊躇するものがあり、道徳倫理という言葉にぶつかる。



じゃあ、現在は「人身売買」というのは日本に存在するのか?というのが頭によぎった。


昔は当然だが人身売買はあり、よく言えば丁稚奉公もそういう風に受け止めることができる。

あの松下幸之助でさえ4歳で家族で夜逃げをし、当時は小学4年制だったからその後は丁稚奉公で子供で出稼ぎもそう聞こえてもおかしくない部分はある。

またから凶作からの人身売買や、また食べ物の貧困からくる姨捨山(ウバステヤマ)の逸話は事実存在する。


しかし平成で人身売買と言えば間違い無く犯罪組織が絡んだ話しが存在し、日本では拉致、誘拐の人身売買が今もあることを知った。

英語では、ヒューマン・トラフィッキング(Human Trafficking)というみたいでWikipediaで調べるとブルーになる単語の連発で掲載されている。

これは「人の密輸」という意味を挿し、人身売買は売られる場合は海外の可能性が高いことが分かる。



僕が書くより動画が存在するので、その実態を知りたい人は動画を観た方が一目瞭然だ。

日本で起こる人身売買


「話すとも殺されるかもしれない」っていう台詞。


そしてその関連の用心棒をしてた人間がいうにはタイの国では組織が8つ。

その組織の半分が日本で年間1000人の人身売買があるという衝撃的な内容。

その後のパスポートで成りすましの件は動画で学んで欲しい。


こちらは中国の人身売買。


中国では「一人っ子政策」があり、二人目が生まれると「罰金徴収」で20万元(約260万円)以上の罰金が科される。

それが払えれない人は泣く泣く自分の子供をヤミ組織に売る構図を漫画「賭博堕天録カイジ 和也編」を読めば分かる。

あの巻は強烈に国の格差社会の構図が浮き彫りになってる。

中国の場合、人身売買もそうだが格差社会と臓器摘出の話し、それが当局が絡んでいて外貨を稼ぐ事に大きく関与してる部分は恐い。

弱い者が逆転するチャンスはないこのシステムは、まず国の構図が日本とやはり違う。

しかし先のタイでの人身売買は半分が日本の組織という構図も恐いが、そこは唯一国が後押ししてなく関与はしてない。


人身売買:10時間で子供を買う方法 (1)


人身売買:10時間で子供を買う方法 (2)


人助けという間違った自己満足で何世代も奴隷取引が行われていたっていう下りとか言葉を失う。


やはり子供は学校(義務教育)は受けさせないで日々強制労働。


国が違うだけで簡単に人身売買が行われてると思うと日本は拉致、誘拐で裏で犯罪が起きてるが、こちらではインタビューに答えるくらいそれが日常茶飯事なんだろう。

生きてる場所が違えばルールや価値感まで違ってくる。


日本の警察官や治安は世界一とよく聞くがまんざらでもない。それは事実だと思えてくる。



その中で日本では人身売買に当たり、こういう活動を行ってる人達がいた。


日本の人身売買対策を考える(ダイジェスト)



まさか日本でこういうことで問題視されてるとは思ってなくて北の拉致事件なら理解できるが人身売買の問題が実際に起きてるから、日本でも議題に上がる。


そう考えると、僕等の知らない間に人身売買は日本でもやはり裏で行われてる事の裏返しが上の動画に当たる。

それくらい問題視しないといけないくらい日本でも行われてるかと思うと拉致事件の数より断然多いのが想像がつく。


この次のエピソードはキツイので苦手な方は青字の部分は読まないで下さい。

昔の噂話は海外で新婚旅行に行き、ショッピングで試着するとそこがマジックミラーになっていて、そこで誘拐されたり、またテニスをやっていてボールが山の茂みの方まで飛んでしまい、それを探しに行った女性が行方不明になったエピソードも本当に凹むくらい恐かった。

そのテニスをしていた女性の家族が行方不明のためお金と時間を駆使して最後に知った時は場所は真ん中の国にいるという話しで、すぐに家族はその場所に駆け込むが娘の姿はだ●ま状態で、歯は全て抜かれ既に会話が出来ない状態で廃人になってたというおぞましい話しだった。



僕が当時その噂を聞いたときは、そんな状態でも売春が成り立ち、性欲を満たす奴らに殺意的な気分とダウナーな気分の両方に襲われた。



儲けるという資本主義の基本原則には一線越えた人達の資本を沢山持つ人達が多い気がしてならない。


何かの役に立って儲かるという基本原則の裏には役だっても泣く人や自殺もできない飼い殺しが存在することを知る。




もう一度話しを元に戻すけど、僕等は生きている以上、殺生しないとエネルギーを得れない。

サンマや鮭を食べて涙は流さないが目の前で牛が殺され新鮮なカルビを提供されても日本人だと抵抗を感じるだろう。

ドイツでは子供の頃から牛を殺し、自家製のソーセージを作るシーンを観たことことがある。

銃で撃った少年は7歳くらい。

サンマと牛の違いは魚類とほ乳類の違いで生きたばかりの川で釣った天然の鮎には歓喜して新鮮な美味しさに感謝する。

しかし新鮮なカルビでも目の前で殺されると状況が変わる。

でも僕等は高級な焼肉料理で飛騨牛や松坂牛を食べれたことに感謝し、年に数回しか食べれない高級な肉には相当な有り難みを感じている。


この部分に関しては文化の違いであり、道徳的な倫理もある。


しかし同胞の人間、今でもインドでは実際にカースト制度はなくなってなく、あちらでも人身売買の話しは尽きない。


凄く難しい矛盾したテーマになってしまうのだが同胞の人間を食べる人(カニバニズム)も理解できないし、また同じ人間である人を人身売買は納得ができない。


それを反対にやられたら嫌な行為は人にしてはいけないというのがモラルだと思うし道徳倫理に値すると僕は考える。


馴れは恐い。僕は火葬場に行った時の女性の早口で流れ作業的な会話と骨を拾う場合の見本を見せた時に骨を地面に落としても、それはまるで喫茶店でストローを落とした様な感覚で普通に拾い上げ、謝るどころか弁解もしないで話しはそのまま進んだ。

僕はその女性が憎いとは思わなかったが毎日恐ろしい量で火葬場で人が焼かれることに対し全く抵抗がない様子に、何か大切なものが失われてることに同情した。


自分もいつかはあの火葬場の世話になる思いとかの葛藤は最初だけかもしれない。


やはり自分には関係ないという、どこかであからさまに割り切ったことで行われてるのだと思うと人身売買の人達が人を売るという行為に後ろめたさや道徳倫理はないと思う。

先に浮かぶのが楽してこんなに収入が入るという満足度で脳内には「良心の呵責」という言葉はどんどん無くなっていくんだろう。


悪い仕事や裏家業は沢山あるが「人身売買」が一番酷い商売と僕は思った。


馴れは恐い。絶対的に麻痺してる自分に気付かないからできる行為。


それは勇気ではなく馴れだ。


僕はその馴れる人達の職業だけには就きたくない。


僕も1年やれば道徳倫理とか全く考えなくなると思うと人は変わる生き物かもしれないという結果が僕の結論。


決して擁護してなく、この商売だけは一番恐い裏家業だと思った。


タイで年間1000人の売買。8つあるヤミ組織の中の半分は日本の組織に驚きを隠せない。










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