もちは小さく切ってから | 紺ガエルとの生活 ブログ版日々雑感 最後の空冷ポルシェとともに

もちは小さく切ってから

この時期、必ず思い出すのが。

下宿をしていて金がなかった学生時代に見つけてきた、風変わりなアルバイトのこと。


あの頃は本当に金がなかった。

自炊をするために、電子レンジがどうしても欲しかったので。

バイトして、ようやく金が貯まったところで。

穴が開くほど電気屋のチラシを眺め。

お目当ての電子レンジを、電気屋で値切ってみたものの。

秒殺され。

せめて送料だけでも浮かせよう、と。

四条寺町から河原町丸太町まで、15kg近くある電子レンジを担いで歩いて帰ってきたほどだった。


そんな生活だったから。

盆暮れ、正月クリスマス関係なく、色んなバイトを、経験した。

その中でも、一番変わっていたバイトの一つが。


友人から紹介された、正月に1日半働けば、4万円を即金でもらえる、というバイト。

(いろんな意味で)危ない仕事ではなく。

肉体労働でもない、という。

でも、何でそんなに貰えるのかは、行ってみたら分かる、といわれて。


当時4万円と言えば。

4諭吉、8稲造、40漱石。って今も同じか。

20式部、というのはなかったな。

80具視、ってのはなくなっていたはず。(もういいって?)

当時の私にしては、大変な額だ。


それは、正月とはいえ、行くしかないでしょう。

ちょっと謎めいた、バイトではあるのだが。


元日午後から。

京都から、初詣に向かう、どこか浮かれた人で混みあう京阪電車に乗って。

降りると、人影のまばらな大阪のビジネス街の中心にある、新聞社へ。

殺伐とした、お屠蘇気分もへったくれもない、電話しかない狭い部屋に案内され。


そして、新聞社の社会部の新人記者らしき人から、指示を受ける。


最近大学を出たばかりで、私とほとんど違わないくせに。

いっぱしの、新聞記者気取りの若造が、偉そうに言う。


「実質今年初めての新聞となる、1月3日の朝刊社会面に載せる、大事な記事を書くお手伝いを、あなたにしていただきます。」


何をしなければならないのか、友人は最後まで教えてくれなかったので。

少し緊張して、体を固くして続きを聞く。


「『正月にもちを詰まらせて亡くなった人の数』、という記事を載せますので。

今からリストをお渡ししますから。

市町村の消防本部や、救急指定の大病院に電話して。

もちを詰まらせて搬入された人の数、そのうちの死者数を聴取して、集計してください。

1月2日午後10時まで、よろしくお願いします。」


思いっきりずっこける。

何が新年最初の朝刊に載せる、大事な記事だよ。

そんなにニュースバリューなんてあるのか。


そう思うものの。

4諭吉の魅力には抗えず。

全ての疑問と不満を打ち捨てて。

一瞬にして、従順な組織の犬に成り下がる。


早速、渡された消防本部と病院のリストの一番上から一つ一つ電話。


「あのー。お忙しいところ申し訳ございません。

M新聞社会部の梅本と申しますが。

このお正月に、もちを喉に詰まらせて搬送された人が何人いらっしゃって。

そのうちの何人が亡くなられたか、教えていただけませんでしょうか。」


そう言えば毎年、必ず「正月にもちを詰まらせて全国で10人死亡」とか、ニュースでやってたが。

こんなに原始的な方法で、ネタ集めしていたとは思わなかった。


もっとかっこよく。

例えば。

首相官邸の地階の危機管理センターに。

毎年、大晦日から、松の内まで。

天皇陛下から拝命した警察庁長官を危機管理監として。

「平成X年新春もちによる窒息死防止緊急対策本部」なるものが設置されていて。

官邸地下の大型パネルに、全国各地でもちを喉に詰まらせて緊急搬送された人の数と、収容先がリアルタイムで更新され。

そこからの情報が、各地のマスコミに配信されて、メディアを飾る。

なーんてわけでは、残念ながらないのね。涙。


「はい、XX市消防本部では、1月1日午後23時現在で2件の搬送があって、いずれも搬送中に処置され大事に至りませんでした」

「ありがとうございます。また2日の夜に電話しますので、最新の状況をお教えいただけませんでしょうか。

新年早々にお忙しいところ申し訳ありません」

「いえ、お互い様です。では、交替の者に引き継いでおきます」、

なんて答えてくれる、協力的な人が、上手く電話に出てくれるといいのだが。


「兄ちゃんなにいうとんねん。こっちは正月でただでさえ人手が足りんのに。

緊急出動多くてめっちゃ忙しいっちゅうねん。

悠長にもち喉に詰まらせた人の数なんて教える暇なんかあらへんて」、

なんて言われることも、珍しくなく。


最初は、むっとして言い返したりしていたが。

何度かそんな木で鼻をくくったような対応を受けるうちに。

文句も出なくなってきて。


というのも、先方の事情が、徐々に身に沁みて。

すなわち。

冷たくしようと思って冷たくしているのではなく。

正月で絶対的に人手が足りないから、親切にしようと思ったとしてもそうできない、という事情がある、ということが。

時間の経過とともに、呑み込めてきて。


そりゃ、そうだ。

みんながコタツに入って、酒飲みながらテレビ見て馬鹿笑いしている時間でも。


酔っ払った上での喧嘩沙汰で血まみれになって、119番要請されて緊急出動したり。

生後数ヶ月の幼子がひきつけを起こして、親子ともどもパニックになっているのをなだめたり。

交通量が少ない正月、スピードが乗る大通りで大きな交通事故が起きて、意識レベルが極端に低下した男性が運ばれてきたり。


正月でも、医療・消防関係者の気は、一時たりとて休まるときはないのに。

そりゃ、バイト風情が「知る権利」を振り回すマスコミの権力をかさに着て、「教えて貰って当然」ぐらいの勢いで電話したら。

つっけんどんな対応されても、文句は言えないだろう。


電話を掛けまくっているうちに、夜明けが近づき。

頭が朦朧としてきたが。

その程度のことは、社会経験が少ない大学生とはいえ、理解でき。


惰性で、電話突撃取材を続けながら。


ほとんど脳死した頭の一部で、考え続ける。


そもそも。

1月3日の朝刊で、正月にもちに喉に詰まらせて、何人が搬送されてそのうち何人が死亡、なんて記事が載っても。

何の役に、立つのだろうか。

どうせ記事の最後には、毎年判を押したように。


「大阪市消防本部は、『お年寄りがおもちを食べる際には細かく切って、喉につまらないように配慮し、周りの人も十分注意するようにしましょう』と呼び掛けている」、

なんて書くに決まっている。


それを読んだところで。

もちで窒息する事故がこの世から根絶されるかというと。

そんなことはなく。


そんな記事が出ようと、出まいと。

必ず、喉にもちを詰まらせる人は毎年現れる。間違いない。


人助けに忙しい人たちをわざわざこの取材のためだけに煩わせて。

邪魔することを正当化するだけの、理由がない。

そのために、助かるべき命が助からないことだって、あるかもしれない。

ニュースバリューも、社会的使命も、全くない。

むしろ、人助けに忙しい人を邪魔しないほうが、社会的効用は高いはず。


そんな結論に、私は達した。

平成6年1月2日、午前5時12分。


そこからは。

ひたすら、搬送者数、死亡者数のデータを捏造。

搬送された人の属性と、どんな状況だったのかの簡単なコメントも、リアリティを持たせて。

あの小生意気な新聞記者よりも、自分の方が文才があるところを見せ付けるべく。


そうやって、訳の分からない意気込みで仕事をしていると。

気が付くと、2日の午後10時、すなわちデータ集計・コメント蒐集の、締切り時刻が。


30時間ぶりの、例の新米記者との再会。

少しどきどきするが。


「ちゃんと、取材できた?」、

と聞かれ。


まさか、こいつお見通しでは?と一瞬ヒヤッとしたが。

何事もなかったかのように。

「はい、頑張ってやりました。正月から充実感がありました」、

と答えた。


私が集めた(ことになっている)データとコメントに加えて。

自分なりに、捏造記事を書いてみたものも、調子に乗って、渡してみることに。


M新聞のまとめによると、大阪府内で、昨年12月28日から2日午後10時までに、18人(男性12人、女性6人)がのどにもちを詰まらせて病院に搬送され、うち高齢者ら7人が死亡した。死亡者の中で最も若かったのは40代の男性。

茨木市消防本部によると、1日午後7時ごろ、同市新庄町に住む男性(82)が、自宅で食べていたもちを喉に詰まらせた。男性は病院に運ばれたがまもなく死亡した。

12月28日には豊中市内の介護施設で男性(72)が、同29日に大阪市住吉区の女性(80)、今月1日には吹田市内の男性(62)がもちをのどに詰まらせ死亡した。 


当たり前だが、全部嘘。大嘘。


一瞥した記者が。

「ふーん、良くこんな記事まで書けたね。また何かあったら手伝ってよ」、

とのたまい、4諭吉の入った茶封筒を手渡す。


私は彼と顔を合わせたくなかったので。

領収書に自分の名前を書き込むのに一生懸命な振りをしながら、生返事。


そして、私がやったことが発覚する前に。

ダッシュで新聞社を後にし。

京阪電車に、飛び乗った。

4諭吉をゲットさえすれば、こっちのもの。


流石に30時間連続の労働は、いくら若いとはいえ体に堪え。

気が付いたら、出町柳、終点。

下宿に程近い丸太町で急行電車を降りるはずだったのに。


ようやく真夜中前に下宿に辿り着き。

正月なのに、誰も待つ人のいない、寒い部屋の電気をつける。

底冷えのする、京都の冬。

疲労で、部屋を暖める余裕もなく。

一目散に、冷たい布団の中へ。

泥のように、眠る。


そして、目覚めると。

すでに陽は高々と昇っていて。

何時か分からず、テレビをつけると。


自分と同じ身分の大学生が、このくそ寒い中。

タンクトップと短パンで、たすきを掛けて疾走している。


子供の頃茅ヶ崎に住んでいたせいで。

昔見慣れた風景が目に入ってくる。


そっか。じゃあもうすぐ昼だな。


のそのそと起き出し。

コーヒーを淹れながら。


彼我の差、すなわち、同じ年頃の大学生なのに、どうして彼らとと自分はこんなに違うことをしているのだろう、ということに想いを馳せる。


そして、自分があまりに無為に過ごしていることを、少し恥じてみて。

でも、よくよく考えると。


俺、昨日ちょっと世の中の役に立ったやん。

人手が足りんで困ってる人たちの手を煩わせるだけの取材なんかせんと。

全部作文して、記事書いたったで。


少し、自己満足。


でも、流石に不安になり。

近所のコンビニに、M新聞を買いにいく。


「まさか、俺の書いた記事そのまま使ったりしてないやろな」。

その不安は、見事的中。


私の書いた記事が、一字一句たがわず、M新聞の今年の初刷りの社会面を飾っている。

そして、記事の最後には。

予想通り、「大阪市消防本部からの呼びかけ」が付け加えられていて。


誰か気が付くかな、この記事が全部捏造だなんて。

一瞬脂汗が出たが、すぐに開き直った。


「チェックもしないで記事にするM新聞、もしくはあの新米記者が悪い」


そういう訳で。

M新聞の平成6年の1月3日付朝刊大阪版の、もちを喉に詰まらせた人の記事は、完全に捏造だったと、ここに告白します。

もう時効でしょ。


私の知る限り、誰もその記事について問題にしたひとはいなかったよ。

だから、だれももちを詰まらせた人の数なんて、気にしちゃいないんだ。


人は過去から何も学ばない。

そして新しい一年は、何事もなかったかのように、進んでいく。