ひとつのコンテンツに熱中することが今までなかったので、自分にとってアイドルを応援するようになってからの日々は新しい出会いとの連続である。


そんな中でけっこう心臓がギュっとなるのが、応援する彼らを取り巻く環境や提供されるコンテンツ、それから彼ら本人の言動行動などにモヤッを覚えたとき。


「応援したい」の根本には「すき」のほかに「期待」や「信頼」なんかもあって、それはつまり様々なことを好意的に受け取りたいという願望にもつながると思っている。
でも、というか、だからこそモヤっとすることはどうしてもある。

自分の言う「モヤ」は、それは無視や軽視、蔑視だったり権利を侵害したり差別だったり、そういうのに由来するものであることも少なくはない。
その影響が及ぶ先は自分自身に限らず、彼ら自身や友人知人、まったく知らない人でも関係ない。


すきなので出来るかぎり長くすきでいたいし、どんな場面で接しても心地よく受け取りたい。できれば安心してぜんぶを楽しみたい。
でも、それは理想だと思っている。

いかなる方向や場面においても完璧を出せるわけではない。時代は変化するし、正しさと適当は必ずしもイコールではないから。
できるかぎり誰をも傷つけず置いていかないよう適切を追求する努力することはできても。


自分がすきでいる彼ら自身が実はめちゃくちゃ嫌な思いをしてるかもしれない。
自分がすきでいる彼らの何かで誰かがめちゃくちゃ嫌な思いをしてるかもしれない。


そう考えると怒りや悲しみなどネガティブな感情が生まれるから知りたくないと思ってしまう。
心から楽しめるかもしれなかったものを見聞きしているときにも、それらが頭をよぎってモヤモヤしたことも実際にある。

例えばそのモヤッとの要因が身近で対話のできる存在ならば、直接話しかけてコレがこうで自分はこう考えていて、あなたはどう思う?と互いに深め合うこともできるだろう。

だけどそれが遠い存在の場合、そういう場は獲得しづらい。
何か言いたくても伝えたくても知りたくても、一方的な投げかけ、押し付けにもなりうる。


で、そういう時、ちょっと逃げたくなる。
心臓がギュっとなる。目を逸らしたくなる。
出来るかぎり長くすきでいたいし、どんな場面で接しても心地よく受け取って、できれば安心してぜんぶを楽しみたいと思っているから。

自分の価値観や信念が正しいもの、アップデートされたものである確信も保証もないから。
自分のモヤっとの要因が変わらないままかもしれないし、変わらない期間が途方もなく続くかもしれないという恐れもあるから。

でも、自分だって牛歩ながらに日々前進後退を繰り返して変化しているように、他の人達だって変化する。
もしかしたら誰かとの対話やふとしたきっかけで変化するかもしれない。


自分にできることは、自分のためにその「モヤ」を無視しないこと、軽視しないこと。
それから、モヤっとしたのはなぜなのか、どこに対してなのかを掘り下げること。それに関連することを調べて学ぶこと。
自分の好みの問題なのか、あるいはそうではないのか、知ろうとすること。

ほかの人はどう受け止めどう考え、何をどのようにアウトプットしているか調べること。
ただし必ずしも無条件にマジョリティ(に感じるもの)と足並みを揃え口を揃える必要はないので、調べた結果自分に変化が必要だと思うか落ち着いて考えること。



全部を受け取る必要はないし全部をすきでいる必要もない。
それで愛情の深さも大きさも決まらないから、自分の意思で取捨選択すること。難しい部分は距離を置くこと。
ここだけは譲れない、の部分はちゃんとそれを表明すること。

好きとか楽しいとかって感情と、「モヤ」の感情は同時に存在し得る。
繰り返すけど、全部を好きである必要はないし、全部を受け入れる必要もない。
もしモヤっとしたのが自分が大切に思う何かが傷つけられたりしたからだったなのならば、それを無視したり軽く扱ったりしてしまうのは自分で自分を傷つけることになってしまう。


ここは好き、こういうところに元気をもらってる。
でもあれは楽しくなかった、傷ついた、悲しい思いをした。

ひとつひとつの要素を切り分けて個別で考える。
同時に存在できてしまうから、そうやって切り分けて捉えていかないとパンクしてしまう。

アタマ(理性)だけですきの気持ちも応援したい思いも手放すことはできないし、だからといってモヤを無視してまで手に取ることもできないから。


それから、広い範囲の人々に届きうる場でそういった話をする時は一方的な押し付けになっていないか注意すること。
呼びかけはできても強制はできないし、人それぞれにタイミングがあるし、対話が成立させづらければさせづらいほどに、要求に振り切りすぎないようにしたいなと思う。

人に求めることは自分にも返ってくる。
だからモヤッとを無視せず、掘り下げ、学ぶ。
無理はせず、でも停滞しないよう努める。

ケースバイケースだけど、基本的には自分主体で話すこと。
求めすぎないこと、我が身を省みること。
どの公共レベルでアウトプットするか、どういう影響を及しうるか、落ち着いて考えること。


まだまだ模索の最中だけど、この模索は生きてる限り場を変えつつずっと続くものだと思う。
私もあなたも彼らも顔も知らない誰かも、みんながよい日々を安心して過ごせるようになればいいなと祈っている。


なんか締まったような締まらないような終わりですが、以上、記録でした。ちゃんちゃん。