仕事場の花屋カフェでは、普通のお花屋さんにはあまり置いてないようなすてきな花が揃っている。

それをわくわくと見ながら、帰りにはどの花を買って帰ろうかな~、と妄想するのが日課。

昨日はセルリアがあったので買ってしまった。


日々のこととアロマ雑記帳

セルリアは、結婚式のブーケに入っていたのがきっかけで好きになった花。

英名がブラッシィングブライドといい、頬を染めたお嫁さんという意。なるほど、白から薄紅色に微妙に染まる花色から来ているのかな。だからブーケに入っていたのかも。

独特の細い花弁とほわほわとした繊毛、松のような葉っぱ。清楚でいっぷう変わっていて愛らしい。

ちょっと高いけど、好き。

白い薔薇のインスピレーションと一緒に買ってきて飾りました。


好きな花が家にあるとうれしい。

まだまだ暑いので、花は傷みやすいけれど、最近はくたびれた花は吊るしてドライフラワーにする、という技をおぼえた。

生のお花が一番綺麗だけど、すぐに捨てちゃうのはかなしいから。

ドライフラワーがたまったら、ドライフラワーのリースを作ろうかな。





接近する台風のため働き先のカフェはやや場違いな雨宿りのサラリーマン二人連れしか客が来ず、昼には店じまいし、昼過ぎには店をあとにする。
町はいつもとは違う活気。自然の猛威の前で人間たちは圧倒されて旗を降ろし、シャッターも下ろし、生き物たちの気配がざわざわと満ちるようだ。

この町が好きなのは、緑が豊かで、猫や蝙蝠や狸や四十雀や蝶や蜘蛛たちが共生している、その和やかな生き物たちの気配。


心が浮き立ち、なんとなく家に帰るのがもったいなくて、ドーナッツを食べながら読書。梨木香歩の「f植物園の巣穴」を読み耽る。やはり梨木さんは凄い。本物である。


梨木香歩も置いていない品揃えの悪い町の唯一の本屋に寄り、立ち読み、自然派おそうじの本などを購入。好きな料理ばかりではなく、掃除も得意になりたいという殊勝なこころがけである(笑)。
びしばし吹き荒れる暴風雨と戦いながらようやっと帰宅。


帰宅すると家の前にはパルシステムの宅配の山。毎週コアフードの有機野菜ボックスというおまかせのセットを頼んでいるのだが、今週は何が入っているのだろうか・・・。からみ大根が2週連続で入っていたので、それは入っていませんように、と祈る。3周連続くらいで来たラディッシュとエシャロットも飽きたし使い道に困るので入っていませんように・・・。
今週はからみ大根ははいっていなかった。こやつ、すりおろして焼き魚の付け合わせにするにはぴりりとしていいのだが、水分少なくて硬くて辛くて、それ以外の用途ではどうも使いずらい。煮るにも生でも炒めるのでも、普通の大根の方が食しやすいのである。いやいやきっとからみ大根にもいいところはあるのであろう、私の不徳の致すところである、と申し訳なく思いつつも、どうにも使いあぐね、先週のからみ大根がまだしぶとく野菜室の片隅に残っている。台風が通り過ぎたら干し大根にでもしてしまいましょうか。まあ、スープに入れると独特の味で面白かったけど。


からみ大根の不在に安堵するのも束の間、つるむらさき、小松菜、エンツアァイ(何?)という青菜3兄弟。ただでさえ青菜はしなびやすいのに、3種類もどうすれば・・・。う~む。

あとはトマトとさつまいも。さつまいもは先週も入っていたが、まあ芋は日持ちするから大丈夫だろう。トマト。トマト。好きだからいいのだけど、なんだかいっぱい。。そうだ、配達予定に入っていなかったから、別口で注文していたのである。、配達予定といっても天候次第だからほとんど当てにはならぬ。先々週もトマトがだぶついてトマトソースを仕込んだので、今週もそうするか。


このように思い通りにいかない有機野菜ボックスだけど、旬の野菜を安心して食べられるのはなんといっても良いことだ。なんとか工夫して飽きずに上手に食べつくさなくては。
ちなみに有機野菜ボックスはいつもは6品だけど、今週は天候不良による収穫量不足により5品とのこと。スーパーでも軒並み野菜が値上がりする中、パルシステムの有機野菜ボックスは値上げもなく頑張っているが、やはり天候の影響は大きいのである。農家の方たち、いつもありがとう。安心して食べられる野菜を配達してもらえることは本当に本当にありがたいことだよね、と思う。青菜3種類なんてやだー、とか言ってちゃ失格なんである。


最近の座右の友はこの本、「冷蔵庫で食品を腐らせない日本人」魚柄人之助著。食材の保存法など、昔の人の知恵を合理的な説明とともに著した本で、面白くてためになり、実践的。この本のレシピで豚肉のしぐれ煮を作ったら、夫が大喜びであっという間になくなった。。保存食の意味なし(笑)


http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/447978182X/ref=dp_image_0?ie=UTF8&n=465392&s=books


家事は毎日が勉強だな。

昨日はレディースデーということで、母を誘って映画二本立てをした。
レディースデー、そしてお盆、さらに恵比寿ガーデンシネマ、ということなのか、朝早いのに、大行列に立ち見も出るほどの混雑ぶり。
夏時間の庭と扉をたたく人を見たかったのだけど、どちらも公開されてしばらく経っててもう終わりそうな映画なのに、こんなに混むとは。

まずは夏時間の庭を鑑賞。
監督のオリヴィエ・アサイヤスは、去年観たCLEANはけっこう面白かったのだけど、これは期待ほどではなかったかも。単に個人的にぴんと来なかったというだけであるが。
パリ郊外の邸宅に住む老夫人が死に、彼女の叔父で芸術家の作品や収集品といった遺産と邸宅をどうするかで、老夫人の子供達の間で意見が対立する。思い出の場所や絵を残したい、という長男。しかし、屋敷や美術品といった遺産を管理する労力や莫大な相続税、そしてそれぞれの人生の金銭的な必要などもあり、遺産をしかるべき処分をして分配をする、という結論に至る。
遺された美術品は美術館に収蔵されることになるが、もはや生き生きとした輝きを失っていた。
なんであまり面白くないというと、これといった見せ場も盛り上がりもなく、話がごくあたりまえに流れていってしまうということ。まあ、そうなるしかないだろうね、というような諦感。
美術品が美術館において屍になってしまう、ということは理解出来るけど、それとて特別なことを言っているわけではなく、ああ、それはそうだよね、という感じを受ける。ごく当たり前に。
美術品とはいえ、器は使ってこそ価値がある。だけど、美術的に貴重なものだということで評価され鑑定され金銭的な価値のみが一人歩きし、皮肉にもそのものの美しさには触れられなくなってしまうパラドックス。
老女中のエロイーズが、高価なものとも知らずに形見分けでもらった花瓶に花を生けるシーンや、彼女の素朴で実直なたたずまいには胸を打つものがあった。それが本来あるべき姿である、というような。他の登場人物たちにはいまいち人間的な魅力を感じられないのが残念ではあるが、嫌な奴にしか見えない長女も、個人的な思い出のある銀器をいとおしげに抱きしめる。
そんな場面があるかといってノスタルジックな映画でもなく、エロイーズ以外はみんな基本的にドライである。(とってつけたように、ラストに孫娘が泣く場面があるが…なんとなく無理矢理感が)
だけど、感情をあらわにしないところがフランス的なのかもしれない。
いいシーンもあるのだけれど、なんとなくすっきりしない中途半端な気分で投げ出されるような映画である。

その後、HERBSでお昼ご飯。パスタとケーキのセットを食べ、結婚式の写真などを肴に、話に花が咲く。

二本目、扉をたたく人。こちらはなかなか良かった。
結婚式のあと、二次会をウェスティンホテルのバーでやり、ウェスティンホテルで一泊し、翌日は恵比寿デートしてから帰った。
その時に扉をたたく人を観ようかとも思ったのだけど、疲れてたから写真展にしたのだ。
報道写真展とセンチメンタルジャーニーをその時は観たのだけど。
話は脱線したが、その時からずーっと観たかったのだ。

扉をたたく人は、話の構成や説明不足にやや難がある気もするけれど、登場人物の描き方が生き生きとしていて、良い映画だった。

一見真面目で優秀、だけど妻を失い、人生に喜びを失い、ただ機械的に日々を過ごす初老の大学教師ウォルターが、ひょんなことで移民の若者ターレクと会い、心を通わせる。また、音楽と淡い恋により、自分自身の人生を生きる喜びを取り戻していく。ジャンベのリズムに乗せて、あらたな人生への勇気が沸き上がるウォルター。しかし、不法移民として捕らえられたターレクは、収容所に入れられ…。

米国の移民政策が9・11以降に大幅に変えられ、移民に厳しくなった、ということが物語の背景にはあるが、移民を収容し、モノのように移送したり強制送還をする様子は日本の入管と似たものを感じる(あくまで聞いた話であるが)。
日本では収容されている難民申請者を薬漬けにしたり、暴力的な扱いを受けたり、米国より酷いんじゃないかと思うが、罪人でもないのに管理し収容する、という時点で、どの国でも程度の差こそあれ構造的に非人間的な扱いにはなっていくのだろう。米国でも収容所で死ぬ外国人も多いようだし、どこの国でも問題はあるのだろう…。
以前参加した牛久の入管の支援者の集まりで聞いた話を思い出しながらそんなことを思った。同じ人間にそんなことをするなんて、と許せない思いだが、外国人の収容所、そんな場所が日本に存在することすら、多くの人は知らないかもしれない。
それが現実だ。

この映画は、そんなアメリカの問題に光を当てながら、声高に問題を叫んだり、性急な解決を求めるのではなく、移民と米国の壁の問題を、一人の男の内面の変化を通じて静かに語りかける。

私自身が日本国内の難民や入管の問題に関しては前から興味を持っていて、仲間と勉強会を開いたりもしていたが、本当に難しく正解がなく、またデリケートな問題であることを実感した。下手に風呂敷を広げるとあまりに問題は大きすぎるし、歴史的な背景も複雑で、各国の取り組みもばらばら、国境が従来とは変わってグローバルになっている世の中で、とても一言では語れず、正解が見つかるような問題ではない。
そこに映画として取り組むとなると難しいが、重要なのは、彼ら移民は、心を通わせられる他者だということ。同じ人間であり、同じように権利をもつということ。
それを難しい言葉で語るのでなく、ウォルター個人の内面の変化、壁を持つ現代人が、音楽を通じて他者に心を開き、自分の心を解放するかのようにジャンベを叩き、叫ぶ様子に乗せて、それと対比するように他者に対して閉ざされたアメリカ社会を描く監督の手腕は見事。

しかし、ラブロマンスの模様は、なんていうか、唐突なような、無理矢理な気が。あんな美女、それも息子が拘留されている人が、何故(笑)
ターレクの母親役のヒアム・アッバスは好きな役者だけど。シリアの花嫁、パラダイス・ナウでの彼女は印象に残っている。
もう、こうなったらターレクの母親と結婚してターレクを養子にすれば問題は解決するんじゃん!って、それこそ無理矢理か(笑)

あと、ターレクがシリア出身で母親の話からパレスチナ難民であることが伺えるが、このあたりはもう少し突っ込んだ説明が欲しいと思った。シリアにおけるパレスチナ難民の扱いや、シリアの政治的な状況、父親が逮捕されて死んだという話しかなかったので。

突っ込みかたにやや物足りないと感じる部分はあるけれど、難民問題を訴え問い掛けるドキュメンタリー映画ではないから、これはこれで良い。難しいテーマを扱いながら、どこか爽やかな良い映画だった。ウォルター役のリチャード・ジェンキンスの自然な演技が、生身な男らしくて良かった。

一人一人が壁をなくせば、力を貸すことが出来たら、世界はもっと良くなるかもしれない。ハッピーエンドではないけれど、そんな希望や問い掛けを感じる。