忙しくてブログを書くことが出来ず、長らく更新もしていないのに、それもずっとなのに、急に閲覧数が激的に増えることが度々あり驚くことがあります。それも1日だけとか。

いったいどういうことなのか?

私なりに考えてみたのです。

閲覧数が多い日にそれとなくもくじきびとさんに聞いてみると、「今日は、憑依の確認の依頼の連絡があった」と必ずと言っていいほど言われるのです。

そうか!だからなのか!

依頼人に憑依する幽霊の仲間が、もくじきびとさんはどんな霊能者かと知りたくて読みに来るからなんだ!と。


こんな出来事が、一度や二度ではないのです。


必死にブログを読み漁り、躍起になって情報収集しないといけない幽霊さん。

倒されても倒されても、我こそは!ともくじきびとさんを倒すため、何とかしたいと凝りもせず必死に思案する幽霊さん。

いったい何連敗しているのでしょうか?


全くご苦労さまなことです。


ところで、血眼で必死にブログを貪欲に読み漁る幽霊は、いったい誰を使って読んでいるのでしょう?


考えたら怖いですね。



では、あるスピリチュアルの方の持論についてのもくじきびとさんからの本編続きをどうぞご覧下さい。





とても不思議な文章を見つけましたので、推理してみましょう。

死とは、魂がなくなるだけ
魂は、永遠
最終回は、魂しか持っていけない

何となく読んでいると、そうなんだね!と妙に納得してしまうのが、
巧妙さに引っ掛かってしまいます。

亡くなるなら、肉体が無くなるとか滅びるとかになると思います。
それが、亡くなると魂が無くなるだけなら、その人は亡くなりながら生きていることを
連想できます。「無くなるだけ」ですからね。そのものは、「肉体」になります。
しかし、魂が無くなっても、魂は永遠だから、疑問符が浮かんできます。
そう考えると、亡くなると魂は離れることを意味します。
魂は、永遠に存在します。ここで少しだけ頭の片隅に「輪廻転生」のキーワードを
思い浮かべましょう。
その次の言葉が、「最終回」です。
「最終回」だけを考えてしまうと、何かの入力ミスなのかと勝手に考えてしまいますが、
ここで待て待て。その続きは、「魂しか持っていけない」ですから、不整合なことが起きてしまいます。
魂、輪廻転生、最終回、魂しか持っていけない。
最終回なら、野球なら最終回の攻撃とか、順番が最後を意味します。だから、最終の9回の
攻撃になります。
輪廻転生、最終回のキーワードから連想すると、最後の輪廻転生ですから、それ以降は輪廻転生は無いことを想像できます。
「最終回に魂しか持っていけない」を誰が持っていくのかが疑問になります。
本人では?と考えがちになりそうですが、「死とは、魂が無くなるだけ」と最初に書いてありますから、魂が無くなるのに魂しか持っていけないでは、余りにも不自然です。
最終回を天国なら、肉体が無いから魂しか持っていけないは通じます。
でも、最終回ですからね。天国に行ったら、次の転生はないことになります。
拒否しても良いことになります。
そうなったら、輪廻転生そのものの概念が崩壊します。

最終回に魂を持っていく。最後の晩餐会ですかね。イメージ的には?

本人ではなく、赤の他人さんですかね?
その最後の所有者は?
生きている人でない。亡くなった赤の他人。

主語が書いていないし、矛盾前提で何かを隠して書かれているから、
文章を繋いで考えると、脱線しかしない。

輪廻転生したくないことを希望した、魂を持っていける人。

漢字なら、二文字。平仮名なら、四文字。

目に見えない存在や世界は、幽霊の世界ですからね。

それとも、守護霊ですかね?
裏も表も知っている存在ですからね。