欲望が産み出した妄想の世界でしかないスピリチュアルという世界。

そこに待っているのは幽霊です。

死んでも欲望に執着してこの世に留まり、己の支配欲を満たすべく生きた人間を利用するために。


現実を見ようとせず、自己中心的で承認欲求を満たすことばかり考えている人間は、幽霊にとって格好の獲物です。


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ではもくじきびとさんからの本編をどうぞご覧下さい。




今の時代は、アトピーや花粉症、アレルギーなどで苦しんでいる人が多数存在します。
発達障害のことも盛んに云われています。

現代はそうであって、三十年も四十年も前はそうでもなかった。
添加物や空気の汚れ、ストレスなども影響を与えているかもしれません。
特に体質に関しては、考えられるかもしれません。
鯖や蕎麦アレルギーの人も当時はいましたが、そこまでの数はいませんと記憶しています。
「可哀想だね」と会話の中であるだけで、会話の中身もそこまで深刻な感じではなかったように思います。

発達障害でも、当時の話ですが、今では「キャ別」とかに変換して発信されている方も見えます。
「少し天然」とか「ネジが緩んでいる」とか今では揶揄と認定されそうですが、当時ではそのように見聞していました。

急にほんの数十年でこんなに変わってしまう。今でも席に座れない子供が存在したり、報道されないだけで、現実は深刻であると子供を持つ母親から聞いたことがあります。

イチローさんの記事は、正にその通りではないかと思います。
私も何度も、母親が子供を自由にさせている教育方針を持った人を見かけたこともあります。
子供は子供、母親は躾に関して興味なし。子供が大人になって恥ずかしい思いをしても、自己責任と言い放つ人もいました。

相談に来る親や、一緒にお祓いを受ける子供。その姿を何度も見て来ました。
子供は勝手に育つと考える親。食事の世話だけしていれば良いと勘違いする親。
躾は、親の責任ではないと考える人。躾の大切さを痛感していない親。
子供は子供で、頭はスマホ感覚で、考えたら何か出てくると勘違いしてしまう。
学ぶとか、知ることが大切と感じない子供。何にも興味を示さない子供。

相談の中で、こういうこと(悪い考え方や姿勢)をすれば、結果は悪いことになっても仕方がない。
そうならない為に、ここを直せば、良い結果に繋がると説明したら、それを聞いた本人は、
「私を否定した」「説教される為に来た訳でない」と反論しました。
否定した言葉を使ったから、それ自体で私を否定したと考えてしまう。
中身を何も考えずに反応してしまう。
整体でもこのような人もいます。

この人には何も云えない。云っても無駄。逆に恨まれる。
相手にしないのが得策。
そう思ってしまいます。

「三つ子の魂百まで」

子供の時に最低限のことを親がしないと、身に付かない。
他人でも良いのですが、所詮、他人です。
我が子。我が子だから、一生懸命に子供を育てる。
後ろ指を指されないような大人にならないと。
立派な大人にならないと。(この場合の立派は、人格的にの意味合いです。)
お天道様が見ている。
陰日向ないようにする。

最近は、聞かなくなりました。

個人尊重。自主性を重んじる時代になりました。
承認欲求などの言葉は、良く見かけます。

時代が変わったからでは済まされないのですが、
今は、「もう時代が違うから」で片づけられてしまう世の中になってしまった。
そういうことでしょうか?