スピリチュアルに傾倒し心酔する人は、現実を見ていません。

現実から遠ざかり独りよがりな妄想の世界に浸っているだけだから。

いくらスピリチュアルをがんばっても何も成長しません。

年齢と見た目は確実に老いるのに、中身は幼稚なまま。

常識の通じない厄介な大人になるだけです。

スピリチュアルには幽霊が潜んでいます。

神様や天使などからメッセージが来たり、味方になって運気が上がる、魂の次元が上昇するなどスピリチュアルの世界では当たり前のように言われていますが、それらは現実の世界ではありません。

全て欲望が産み出した妄想です。

本物の神仏は特定の一部の人だけに味方することも特別扱いすることもありません。

あるとすればそれは、神様や天使に化けた幽霊が、信じ込ませるために見せているだけ、思わせているだけ。

幽霊の仕掛けた罠である幻にしか過ぎません。

スピリチュアルは幽霊の世界です。

スピリチュアルをすることは、幽霊に自ら進んで自分を乗っ取らせ、幽霊の好きにして下さいと丸投げしているのと同じです。

自分で自分をこの世から消し去り、死んだら自分も次の幽霊になるという契約をしているようなものです。



ではもくじきびとさんからの本編をどうぞご覧下さい。




新聞のコラムを読んでいたら、最近の言葉に関してのことが書かれていました。

それを書く前に、最近のネット記事でイチローさんが学校の訪問をされていて、その時に
感じたことが書かれていました。

ざっと読んだからざっくりで自分の言葉が入ることを承知の上で書かさせてもらいます。
昔は、強制的にある一定のレベルまで他人が押し上げてくれた。
現在は昔と時代が変わり、本人の自主性を重んじるようになったと記事に書かれていました。
だから、自らが率先して自分を高めれる人はいますから、その人は問題ないでしょう。しかし、そうでない人は、いつまでもそのレベルのままでいることになります。

この記事を読んで、昔は詰め込み教育と云われ、良くも悪くも強制的で無理矢理感はありました。でも、その当時はそんなことを感じないまま過ごしていました。
私の当時の中学生時代は、校庭にバイクが走る時代でした。窓ガラスが割られていて、不良生徒はシンナーを吸い、授業は受けず、席を立つ始末。廊下では、生徒が暴れて、先生は止めに入る光景を見ていました。
しかし、その他の生徒は、授業は受けるのは当たり前。静かに聞くのは当たり前。
生徒同士、好き嫌いはあっても、大体が各々を尊重していました。
運動音痴だからとか、勉強が出来ないからと苛めることはなかったと思います。
小学校では、転校生は苛められる。これはありました。
私も転校生でしたから、当然の如く、「いじめ」に遭いましたが、反撃しました。
教室が大乱闘になりました。
小6でも、中学では番長と呼ばれて、当時の中村区では他校の番長でも恐れる人物からも
階段の上から落とされることもありました。今みたいに本気で落とすようなことがないですが、それでも一歩間違えたら大怪我をします。
その番長は小6でも筋肉隆々で、子供の中に大人が居るみたいな佇まい。
結局、最後は刃向かうことをして、廊下で喧嘩に。
それ以降は、何もしなくなり、遠くから声を掛けられることはありましたが、その後の接触はありませんでした。
今なら、もっと陰湿なことをされてしまうかもしれません。
その当時はそれで良かったかもしれません。

話が毎度のことで逸れてしまいましたが、当時は先生は怖い存在で、何か悪いことをしたら、
怒られるのは当然。度叱られるのは当たり前。授業中に手紙の回しっこをしていたら、手が飛んで来ることもありました。
小6の先生は、忘れ物や注意しても直らない時は、ほうきの柄で太ももをバチンと。
しかし、バチンとされた生徒は、オーバーアクションで皆を笑わす生徒も。

何処かに目に見えないですが、信頼関係がそこにはあったように思います。
今は、先生よりも保護者が強くて、生徒はお客様みたいに扱われることもあるとも
聞いたことがあります。
時代が変わればですが、変化し過ぎな感じはします。