占い師のサイトでもくじきびとへの攻撃、人格や容姿、整体までこんなによく書けれるなと思うぐらい書いていました。

それでも飽き足らず、ハゲ、クソ坊主の真似事をしていると批判して。書き込んだ人からしたら、そういう風に見えるみたいです。
何もお坊さんの真似事をしていないですけどね。考え方のベースが仏教だから、余計気に喰わないのですかね。

スピリチュアル好きな人からしたら、スピリチュアルが真実だ!みたいに思っているからでしょうね。

まだ怒りが治まらないのか?
天台宗、千日回峰行の酒井雄哉さんを霊能者と書き込んでいましたね。

もくじきびとは、そんなことも知らないでいるんだ!みたいに意気揚々と批判していましたね。

もくじきびとからしたら、そんなことを書いて天台宗や比叡山を怒らすことになるんじゃないの?と思ってしまいます。

幽霊の存在を感じる、お祓いをしているとその根拠を書いていましたが、幽霊の存在は本に書いていましたからそれを引用?

しかし、もくじきびとの存在が憎いのか?

スピリチュアルは、幽霊の世界だと活動しているのが鬱陶しいのか?

誰も理由は書かないから不明です。


しかし、いつまでも新たな証人が現れないから、今度の標的はひつじさん。

批判の材料が、元ブロガーの嘘の書き込みや容姿の誹謗中傷。

スピリチュアル好きを隠して反スピリチュアルの仲間に成り済まして、切り崩し工作をしていたとは…。

その輪に加わった人たち。

まだお祓いが終わっていない人たち。

一人は終わっていましたが。

嘘や誹謗中傷したら、どれだけ真実を書いたと主張しても誰も信じてくれないのに。

信じる人は、スピリチュアルを信じている人か愉快犯ぐらいしか…。






変わらなかった。

今までの生き方がそのまま表れた。

残念でした。








どうしても霊障を何とかしたいから依頼された人が、お祓いの基準が依頼者自身の考えでしてもらったと。

お祓いが終わらなかったと批判していました。

この人たちのことを思うと、心が痛いです。




「変わらないだろう。」




だから、心が痛いです。










どうしてこんな考えになったのだろうか?

今までその考え方で生きてきた。

辛い人生を過ごした、幽霊に振り廻されてきた人生。

幽霊に苦しんできた人生。

しかし、


「お祓いをしたら楽になる。」


どこかでその気持ちがあった。

そのような考えを持っている依頼者。





お祓いをしてもブログを書いていない人の数は圧倒的に多いです。

終えた人は、これから現実の生活をも大切に、自分を大切にして、精進する気持ちを忘れずに頑張ってくださいとエールを送りたいです。



また次回のお祓いがある人。

連絡待ちです。

「自分はどうなってもいいや!」

「勝手に体が動いている。仕事をしているんです。私は、その様子を見ていただけです。」

「命が尽きるから、幽霊に憑依されて体を乗っ取られている。苦しいけどもういいや!」


もくじきびとは、お祓いをする立場しかないです。

依頼者が自身を救わないと、最後のお祓いはできません。

待つしかない。





しかし、ダメかな?と思っていた依頼者が何とか最後までお祓いをしてくれたことは、良かったです。

スピリチュアルに接点を持つということは、知らずにスピリチュアル思考に染まっている。

その前にそもそもその要素を持ち合わせていたことになります。

本人の頑張り、諦めない気持ちを持ち続けたことが良かった。

踏ん張れたんだから、これからの人生も踏ん張れると信じています。

こんなに自分を変えることは辛いです。

辛いと言葉には出せますが、本当に紆余曲折しながら大変な思いをしないといけません。

しかし、やっとスタートラインに立てれたのだから、後は前を向いて進むだけです。





お祓い時に体がそんなに動かなかった人は確実に現実思考に戻れます。

そうでない人は、何年も掛かる場合がほとんど。

もっと酷い場合は、一生懸けて維持していくしかないです。

霊媒体質の人は、歩くのを止めれば梯子から滑ってしまう。

以前に書きましたが、その位の気持ちでない限り、変わらないでしょう。





  



    もくじきびと