公平
13日、実家で過ごす。実家の座敷は木造平屋、それも南北廊下、庭があるので、わがアパートと暑さが違う。どうにかエアコンなく我慢が出来る。妻は私の母の身の回りを固唾桁利しているが、明日より自分の実家(東京)に半年振りに帰るのを心待ちにしている。その夜、関市で花火があると聞き、高速道の途中から見られると思い、時間を合わせ関市辺りを通るが見えなかった。帰り川島オアシスパークにより、夕食を済ます。SAはお休みの家族連れでにぎわっている。すべて幸せの家族であるに違いない。こちらまで幸せの気分になれる。名神の渋滞もなくスムーズに流れている。明日から2日間独身になれる。妻は親の顔が見れるのが待遠しい。こんなに狭い日本も盆休みに移動をする。途中、SAのGSは137円/1リッターで混雑している。
車の中、""公平""について話し合う。きっかけは、息子と同じぐらいの子供が歩いていた。同じく"猫背"である。第一印象”マヌケそう”。第一印象悪ければ公平なんてありえない。第二印象でまた逆転もあるが、また差別感が増すこともある。だから、公平なんてありえない。区別(差別)感をされていると感じながら、成長、改善していくのが人間だと思っている。公平にしてください。と主張する人は、私及び私の周りの人を、特別扱い(ひいきにして)してくださいと、主張しているようにしか聞こえない。妻と話し合うところが、私の主張になってしまった。