[編集 ] 概要・人物

  • Dir en grey の作詞は全て例外無く京が行っている。独特な言葉の選び方と造語力で不思議な世界観を持つ。初期の頃には虐待 を題材にしたものも多く、それらは京が父親から受けた虐待紛いのスパルタ教育 が元になっている。
  • 彼の歯並びのせいか滑舌が悪く、歌詞を見ないと何を言ってるかわからない事が多い(ただ歯列矯正は行っていたらしく、朔などのPVで確認できる)。ちなみにボイストレーニングを受けた事が無く、いまだ独学である。だが、ファルセット など多彩な歌声を使い分けることができる。
  • 過激な性格かと思われがちだが、実際は寡黙で冷静沈着な性格であり、雑誌やTVのインタビュー等では自分の世界観を分かりやすく丁寧に語っている。また、蜉蝣 の大佑や、メリー のガラ等の後輩の面倒見も良い。だが時折毒を吐くこともある。
  • メンバーの中でもメディアへの露出が特に少なく、本人曰く「自分の声を安売りしたくない」という。
  • 黒夢ローディー を経験したこともあり、初期の頃は黒服に金髪というファッションや化粧の仕方等に黒夢の清春 の影響を強く受けていた。
  • ライブでBA-TSUネクタイ をしていたのを偶然デザイナーが発見したのがきっかけで、コラボ企画を行い、数度デザインを手がけている。
  • バトル・ロワイアル への出演依頼があったが、本人の性格上断わった。(後年、故・深作欣二監督の葬儀には参列)
  • 地声(ミックスボイス 含む)での音域がlowG~hiF#(ほぼ3オクターブ)と、音域を幅広く使う。
  • 彼の左耳にはたくさんのピアス、上半身には所狭しと入れ墨が入れてある。また歌の途中で体を出血させる行為もするため、その傷跡がある。
  • デスボイス、シャウトなどを多用するが、しなやかで伸びのある澄んだ歌声も併せ持っており、そこに惹かれるファンも多い。なお、THE MARROW OF A BONE 以降、デスボイスの質が変わってきており、それ以前の様な唸り系ではなくガテラルボイス に近くなっている。
  • 元々くせ毛 で、初期の頃は縮毛矯正を行っていたが、今はやっていない。
  • 昔、歌番組を嫌っていた子供時代に唯一好きだったのは中森明菜 と公言しており、初めて買ったのは「TATTOO 」であった。ファンクラブイベントで「二人静 -「天河伝説殺人事件」より 」をカバー したことがある。
  • メジャーデビュー前は、ファンレターの返事を書く際に宛名の「行」を二重線で消して「様」に直してから返信するなど、意外とマメで律儀な一面を見せていた。

経歴

[編集 ] 小学校・中学校時代

  • 実家が当時パン屋を経営して忙しかったので、写真などもなく幼児期の記憶は殆ど無いらしい。小学生の頃は、仮面ライダーのキャラクターやゲーム、映画、外で遊ぶのが好きなどこにでもいるような一般的な子供だった。しかし、妙に冷めている所があり、色々な人と仲良くなる反面、どこのグループにも属することがなかった。また「人は裏切る」という感覚が何故かずっとあり、親戚や周りの人たちには「ヘンコ(変な子)」と指摘されていた。
  • 中学生の頃には世の中に対する不満や疑問が多かったという。また、この時期にだんだん音楽に目覚めていく。BUCK-TICKXX JAPAN )等、ヴィジュアル系アーティストにハマッていった。それと同時にバンドというものに興味を惹かれていったようだ。ちなみに、音楽に興味をもったキッカケはBUCK-TICKであったが、その理由は、「(BUCK-TICKのメンバーの)髪型がアニメキャラみたいだったから」と本人が語っている。その後友達の影響でそういった音楽を聴くようになり、特にテンポの速くて激しい曲に共鳴したそう。
  • 勉強もスポーツもヤンキーも嫌いだったが、音楽は相当好きになり、ギターを初めて買ったときに、バンド以外にしたいことは何もないという思いが既にあった。これしかない、これ以外に何も自分はできない、そうじゃなかったらダメな人間になってしまうという程に気持ちが強かったようで、故に高校も「行かない」と言って、無理矢理受験させられたが、バンドしかやりたくなかったので、白紙で出して、バンド活動のみの日々を送ることになる。

[編集 ] 中学卒業後

  • 中学卒業と同時に髪の毛をピンクにする等、様相が激しくなっていた。この頃はバイトやローディー をしながら生活をしていた。中央市場でアルバイトしていた時にアルバトロスというバンドに誘われてローディーを始める。ローディーをしながらその一方で、バンドメンバーの募集もしていた。バンドはCDも出してツアーも行っていたので、仕組みや打ち上げの礼儀など良い事も悪い事も見つけることが出来て、勉強になったことが多かったと語っている。
  • 始めはX のギタリスト、hide が好きでギターをしようとhideモデルのギターを買ったが、コードなどが押さえられずに挫折。その後、ベースにも挑戦したが、やはり弾くことが出来ず、ドラムには興味が沸かず、好きなアーティストにはボーカルが多かったので、自分が本当にしたいことは自分を表現出来るボーカルであると悟り、その道を選ぶ。
  • また、当時黒夢 を雑誌で知り、まだそこまで一般に知られていなかった頃にライヴを見て衝撃を受け、「自分の求めていたスタイルはこれだ」と感じたそうである。その後、数回ローディーも務めている。
  • 初めてメイクをしたのは16歳の時で、イベントでローディー組によるバンドを組んでボーカルをやった時。当時から色々研究していたようで、様々なバンドのメイクを組み合わせたようなものだったらしい。この時に自分がバンドやライヴといったものに求めていたものへの確かな手応えを感じたらしく、親にも反対されていたらしいが、「絶対に売れるから」と言い続けたそうである。また、ディル・アン・グレイ結成時、バラエティー番組で発言したコメントによると、「メイクは一応X JAPANマリリン・マンソン からの影響を受けている」とコメントをした。
  • そして、17歳の時に地元京都 で初めて組んだバンドが「月蝕」。当時の名前は妖魔。最初から曲はオリジナルで、ザ・スターリン などの影響を受けてパンク・ロック 風のサウンドであったとのこと。この時から既にビジュアルメイクをしてライヴを行っていた。結成9ヶ月で解散。

[編集 ] La;sadies 時代

  • 京都からバンド友達や知り合いのスタッフがいた関係で大阪 に移住するようになる。
  • 月蝕解散後、vison、Masqurade、廃人黒薔薇族、La;sasidesとバンドを遍歴していった。
  • 大阪にあるamHALLというライブハウスの楽屋で、当日ライブを行っていたShinya と知人を介して出会い、廃人黒薔薇族というセッション・バンドを組む。
  • La;sadiesを結成する際に、当時別のバンドで活動していたDie をビラで知って気に入り、声をかける。
  • 尼崎 に出没していた と、大阪城ホール (XのLIVEが行われていた)で知り合う。
  • 長野県 のライブハウスでLa;sadiesで対バンとして出演した際に、ライブのパフォーマンスに惹かれたToshiya に声をかけ、大阪に帰ってからも頻繁に連絡を取り合う。
  • 京のライブパフォーマンスはこの頃から激しく、異彩を放っていた(ドーランで髪を白く塗り、特攻服を着て木刀を持って、客席で暴れたというエピソードがある)。




んー。なんとも面白い人ですねもきゅ