久々に、病気関係の話。

 

2010年5月に腎臓がんが見つかって

左腎を摘出した私。

当時のことは、

ほとんど記事にしていない。

 

いつかまとめて淡々と語れる日が来たら・・・

と思っていたけど、

例えば“そんな日”が

今だとしたら、意外と、

 

忘れてるよね・・・

 

 

色んな方のブログを見ていると

『何月何日にこんなことがあって

どんな風に思って』

と回顧録を綴られてるのですが、

それらは、はっきり言って

 

すごい。

 

皆さん、闘病中に日記とかメモとか書いてるんだろうな。

もしくは覚えてる??

そのバイタリティというか

メンタルの強さというか

客観的思考というか

頭が下がる。

 

 

私は今でも

周りの人達にも

詳しいことは話してなくて、

周りが知ってるのは

病気で入院・手術したことと

予後が良好で、今は何の治療もしてないことくらいなので

私自身も闘病期に関して

あまり思考整理できてない感じ。

人に話したり文章にしたりしないと

頭ん中整わない気がするよねえ・・・

だからとても大事だと

思ってはいる。

 

思っては。

 

でも同時に

書きたくない気もする。

 

手術からもう7年も経って

がんだったことは事実で

今元気なのもありがたくて

これが現実・現状なんだけど。

 

心のどこかではまだ

“傷”であり“受け入れきれてない”ことであり

“向き合いたくない”

ことなんだ。

 

手術直後にも、

同じ病気になった人たちとの集まりとか

病後のメンタルケアをするサロンとか

すすめられたけど、

正直、行く気なかった。

 

自分自身の

肉体的・精神的不安定さは感じていたけど

そういうとこって結局

傷のなめあいでしょ

くらいに思ってた。

もちろんそれは言い訳で、

ほんとはどっぷり浸かるのが嫌だったんだろうな

と思う。

 

一方で

闘病中、泣いたりわめいたりしなくてすんだのは

現実のこととはわかっていても

どっか他人ごとと思うというか

悲観的にならないよう

周囲の情報やほんとの不安を

シャットダウンしてたおかげだとも思う。

心を守ったっていうかね。

絆創膏を貼ってね。

外から見えないように且つ

外敵から身を守るように。

 

 

でもそれで、

良かったんだとも思う。

当時のことを

きちんと分析して覚えておくことも一つだけど

器用じゃない私の場合は、

なんとなくその時その時を

乗り越えていって

時間が経って

不安も苦しみも

忘れちゃうくらいで。

 

それで

ちょうどいい。

 

たぶん。

 

 

今は

今のことで精一杯で

気持ちは未来に向いているので。

それも、手術直後には

考えられなかったことで。

 

いつか

書ける時がきたら、

向き合う勇気が持てたら、

文章に残すことで

誰かの役に立つんだ、と

奮い立ったなら。

 

それまでは

シャットダウンも

良しとする。

 

甘い話かもしれないけど。

それも

ひとつの

乗り越え方だと

私は思う。

 

 

今人生の岐路に立っている人たち。

苦しい時、

逃げないことが一番ではないよ。

苦しみに飲み込まれないように

自分の心を守ることを

優先したって

いいんだ。

それだって

困難の

乗り越え方だと思う。