<5個の噴火口が1つになった火山>



 本を読んでみると、ひときわメンバーたちの互いに対する感謝と尊敬、それから同病相燐(同じ苦しみを受けている人を互いに同情しあう)の情を多く感じながら読んだ。同じ道を歩いているというライバル心や熱い友情で結ばれた兄弟と同じ彼らだが、場合によっては競争者にもなり、師匠にもなる、そんな関係だということだ。

 この本が興味深い点は、“ある人の挑戦記”ではなく、“躍動的なチームワーク”について書かれているという点だ。ひょっとするとこれらは“戦略と協力、調整と説得、共感と理解”のようなビジネス世界のメカニズムを、同年代の友人たちよりもっともっと早く経験したのだということができる。


 彼らは互いを沸き立たせ、配慮し、気持ちを励ますなどしきりに行い、自然にリーダーの席、末っ子の席、相談者の席、悪役と助演と善意の役割を代わる代わる空いた隅々まで満たしていったのだ。おそらく、生き残るために自身の空いた席を埋める方法を早く体得していったようだ。

 互いに同じ夢を語った5個の小さな噴火口たち。彼らの助言者としてみたときに、熱く燃え上がる彼らの情熱と努力たちが集まると、巨大な火山として生まれ変わることが出来るということが希望だ。


 彼らの話は必ずみなさんの話でもあり、彼らの夢は今みなさんが作っていく夢のまた別の形だ。どんな分野であろうと“自身だけの神話”を記録し、その終わりなき喜びとやりがいを感じるために何をどうやって始めなければならないか、その小さなヒントを得ることができることを願う。


 最後に、一度も本を書いた経験がなかったBIG BANGのメンバーたちが、自分たちの正直な考えと経験を気楽に語ることができるように手助けしてくださったストーリー・ディレクターのキム・セア氏と本の意味と目的を導いてくれた出版社セメンパゴス、それからYGエンタテインメント職員みなさんたちとYG FAMILY所属歌手たち、最後にBIG BANGの一挙手一投足を激励し、支援してくださるすべての方たちに無限の感謝の言葉を差し上げます。





YGエンタテインメント ヤン・ヒョンソク

<スターになりたいか?なぜ?>



 誰しも一度くらいは芸能人になることを想像したのではないだろうか?

 特に最近の若い世代たち、いやそれよりもっと幼い世代たちにとって芸能人は将来の夢の1位になっている。何が彼らにそんな夢を与えているのだろうか?華麗に見える外見?跳ね上がる富と有名税?あるいは同種の芸能人たちと親しくなることができるという漠然とした期待?

 後に出てくるジヨン(G-DRAGON)の章で言及するように、芸能人として有名になることは“簡単に楽しむことができない栄光”をいただくと同時に“簡単に抜け出すことのできない束縛”を選択するということでもある。芸能人になることも難しいが、芸能人として成功するということはさらに難しいことであり、万一成功したとしても仕事を維持するというなおいっそう辛いためだ。

 趣味の活動ではなく、自身を商品化するビジネスであるために、自身の選択に対して責任と代価を喜んで受け入れなければならない。そのためには誰より客観的であり、冷徹な自分自身に対する“評価”をしなければならない。漠然とした憧れだけを持ってスターダムの門を叩く場合、生き残れるか、失敗するか、99%の確立で本人に才能があるかを1番最初に考えなければならない。


 後に出てくるヨンベ(テヤン)の章でもすこし言及するように、今でもYG練習室の一方の壁面には“歌手になる前にまず人になれ”という練習生の指針が貼ってある。本人を過大評価するとか自慢するのではなく、いつも自分自身の力不足を探求し、絶え間なく自身を発展させるという意味だ。

 この本が芸能人、さらには歌手を夢見る新世代たちにそんなマインドをセッティングするよりも、少しでも手助けになることを願っている。早急な(?)気持ちで芸能人になりたいという子供たちを持つ両親たちも一度くらい読んでもらえたらうれしい。



<ハーバードに行く子供たちと練習室に行く子供たち>



 正直言って、私も時々BIG BANGを理解するには辛いことがあり、世代の差を感じる時が多い。

 40歳を超えた既存世代の泣き言のように聞こえるかもしれないが、私もまた他の既存世代である両親の世代からはかけ離れ、成長した人間だ。当時はインターネットのように世の中と通じることができるチャンネルもほとんどなく、情報を共有することができる媒体も少なかった時期だったので、ただ学校というシステムの中で生き残るために競争して、大人たちの目の外にでないように気配を感じ取ること(?)が生存戦略のすべてだった。与えられる規則に順応し、正しい道を歩きながら、時々逸脱を夢見ることが精一杯か?


 しかし今の新世代たちは比較的主観がはっきりしていて、自分自身で目標を立て、求める道を開拓しているときも果敢に挑む。両親たちも子供たちの意志を尊重してやり、才能が示す道をいけるよう支援をしてやる。

 私たちの世代の両親たちがSKY(ソウル大、高麗大、延世大)に代表される名門大学、大企業就職、判事・検事・医師などに進むということ望み、子供の未来図を限定させるなら、幸運にも最近の両親たちはそんな固定観念や限界を捨てているということだ。ハーバードに行く子供たちと芸能事務所の練習室に向かう子供たち、みんな尊重される時代になったということは、一方では、幸いなことだ。


 だからなのか、以前より多くの芸能人志望生たちが芸能事務所の門を叩く。過去のように本人がすべてのものを開拓しなければならなかった環境に比べて、最近は経験がある先輩たちと専門家たちがつくっておいた比較的多様なチャンネルを通して、その道に挑戦することができる。しかし機会が多くなればなるほど、その競争がさらに熾烈になるのだ。

 悔しいのは、芸能界、あるいは芸能分野に対しての“情報”が今も尚少ないことだ。いわゆる民間人(?)たちの成功事例や彼らの試行錯誤に対する話たちは多くの言論媒体と出版物を通してきちんきちんと積まれてきた反面、芸能界のそれはただ芸能事務所の門の後ろ側にさえぎられたまま埋もれてきたのだ。

 前述のとおり、どんな分野であれ最高の道に到達することが簡単であるわけはないが、なぜそれほどにタンタラ(?)たちの成功は極めて個人的で気まぐれなように思えることが、財を築くようになるのか。誰よりも気楽にはなれない苦痛と努力の歳月を過ごした分だけ、芸能界にデビューするスターたちは“寝て起きたらスターになっていた人”あるいは“運がよくて、誰かがよく押し出してくれて成功した人”として映し出されている。