<人生は悩んで努力する者にそのベールを開いてくれる>
受理能力が秀で、良い成績で名門大に進学する友人たちや、身体的に卓越感を生まれつき持っており、ある運動種目で頭角を現す友人たち、内面の芸術魂に魅了され渾身の力で彫刻作品や美術作品を創造する人たち、極限の難関を切り抜ける極意を征服し、自身の限界を乗り越える人たち・・・。彼らは終始一貫してこのように話す。
「好きなことに夢中になることができた。狂気せずに夢中になることはできない。」
“職業に貴賎はない”という言葉は、どんな職業についてもいいという言葉ではなく、どんな分野でも自身が好きなことを探し、熾烈に競争し、美しく花火を燃やしたら、すべての芸術家であると同時に専門家になることができるという言葉だと思う。だからこそ、どこかに奥深く入り込み、その凄絶な場所を踏みしめ、立ち上がる人たちの話は、そのどんな教訓や説教より強い威力を持つ。
外の世界ではただ幼く見える少女にすぎないキム・ヨナが、氷の上に立つとなぜそんなに美しく見えるのだろうか?
彼女には卓越した結果物を残すことができる“才能”という美しい器があって、その器をさらに強くて堅固な鍛錬をさせられた“努力”があったのだと考える。万一彼女に“才能”がなかったのなら、到達することができる水準は限界があって、彼女に“努力”がなかったのならそこまで行く力を作り出すことはできなかっただろう。更に、彼女が幼い頃に自身を導く“本能”をおろそかにしたのなら、彼女は今、氷の上ではなく、学校の机の上にうつぶせになって寝ているかもしれない。
BIG BANGもまた変わらない。世間の偏見の目で見てみると、服を上手に着て、流行を追い求め、ラップを歌ってふらふらしている(?)みすぼらしい芸能人ぐらいに見えるかもしれない。最近は録音機器があまりにも良くて、歌手が歌をうまく歌えなくても上手に作るあげることができ、そこそこに生まれもった外見であれば、有名スタイリストを動員し、立派な外見を作り出すことも難しいことではない。必要であれば、整形でさらに立派な姿を作ることもできるが、どんなにつくろって隠しても心に残って離れない存在になるのは、内面に隠された才能と努力でもたらされた“結果”だ。
BIG BANGのデビュー当時、この子らを“アイドルグループ”と紹介するか、しないか、少しの間悩んだことがあった。アイドルグループだと紹介するには、私が考えても何か物足りない外見だし、アイドルグループではないと言うには、BIG BANGの活動の方向性は明らかにアイドルグループを目指していたためだ。
予想していたとおり、BIG BANGの写真がインターネットに初めて公開するや否や“この子達がアイドルグループなのか?”“冗談を言ってるのではないか?”という類の反応が大部分だった。おそらく大衆の頭の中にある固定観念で刻みこまれていた、彫刻のようにかっこいいアイドルグループのイメージと多少の差があったためだと思う。