大学3年生を振り返りたい。

そういえば、一度も考えていなかった。


ただ今日は寝る。

明日も、精一杯生きれたら良いと思う。


逃げずに生きていきましょうよ。



今日は書きたい気分なので、No.2を書きます。



大学2回生の時は、迷走の真っただ中にいたんだなって改めて感じた。

「コミュニケーション能力」これに何日、いや何か月、何年の歳月を浪費しただろう。


最近になって「実はコミュニケーション能力なんてどうでもいいんだ」と自分の中から湧き上ったことがあって、それからは漸く解放されたけれど、当時はひたすらに欲求していた。


コミュニケーション能力がないから自分はダメなんだ、受け入れられないんだ、何もかもうまくいかないんだって。

あたかも、コミュニケーション能力がこの世のすべてのように感じ、それを持ちえない僕はひどく疎外感に包まれていた。


きっと、私生活、学生団体、小集団クラスで、何かしらの物足りなさを感じていたのだろうな。

当時は、「すべきこと」がたくさんあったから、遊んでいる、遊びをできる人を羨望していたんだろうけど。


迷路だったなあ。出口がまったく見えない。

けれど、止まると、出口を探すことをやめてしまうと何もかもを喪失してしまう気がして、コミュニケーション能力の呪縛から逃れられなかった。

「自分はダメだ。だからこそ、人一倍努力しなくては。俺は絶対乗り越えるんだ。」って。


本当に、もったいない使い方をした。けれどこれが精一杯だったし、本当にひどく悩んでいた。

満ち足りない感情、悔しさ、後ろめたさ、自己嫌悪...

とにかく、ネガティブな感情を抱え続けていたんだろうな。当時の日記を振り返ると苦悩が伝わってくる。


当時は、研究や学生団体で忙しかったはずなのに、本心では、コミュニケーション能力を求めていた。

コミュニケーションを高めるために本を読んだり、お笑いDVDを見たりしていて、あたかも本業である研究や学生団体の活動がわずらわしいものであるかのようになっていた。

よっぽどだったのだと思う。


大学1年生の春休みから始まったこの思いは、大学3年の冬休みまで続いた。

振り返ったときにぽっかり穴があいているように感じる。

もっと勉強もできたし、もっと旅にも行けたし、もっと自分にとって楽しくできたはずだったのになぁ。

「空白の2年」ってね、今となっては思う。そう思えるのは、悩みつめた末に2012年の冒頭のある出来事で吹っ切れたからなんだけど、2年間はあまりにも機会損失としては甚大である。


ただ、今だからこそ、狂乱さを把握できるけれど、当時は必死に悩んでいたに違いない。

それも包含して自分自身なんだ、といえるくらいにならないと。


あのとき~してれば、とかは考えたところでどうにもならない。

それを前提に前に進むしかない変えられるのは、今と未来だけ。


きっと、別の道をあのときとっていれば、それはそれで悩んでいたはず。

「人生塞翁が馬」

あのころを空虚に感じるならその分を将来の充足感につなげればよい。


「空白の2年」を乗り越えた僕は、現に、以前より幾分か幸せな休日を送る、人生を豊かにすることができる自信がある。楽しみだ。


前を向こう。

逃げたほうが良いこともあるかもしれないけれど、結局のところはどうなるかわからない。

そんなもんさ。

今はレールに乗ろう。レールに乗ったことが必ずしもダメとも限らない。


人生塞翁が馬


少なくとも、今最善と思うことを精一杯やろうね。


ここに文章を書くのはおおよそ一年ぶりだ。

果たして去年の自分よりも成長できているだろうか。


ブログを回顧してみた。

当時の自分は住民説明会のプレゼンテーションを終えた後だった。

また、研究論文を事務室に提出した後だった。


一年間の充足感と達成感で僕は満たされていた。

少なくとも成長を感じていたように感じる。


だって、当時の僕はしっかりと役割を果たしていた。

と同時に、自分の至らなさも痛感していた。KLでの悔しさもフォーラムでの荒削りさも自認していた。

そこには偽りもなく、誇張もない。本当の自分が記されている。


僕は、やってきたこと誇るべきだし、自信を持つべきなのだ。

当時はよくやっていたよ。



なのに、どうだろう。

いざ就職活動が始まってみると、その喧騒に呑まれ、本来の自己を見失っているではないか。

自分の至らなさを感じとり、絶望感に浸っていたではないか。

だから、誇張してしまった。やってもないことを紙面に書いているのだ。


冷静に考えると、今の僕は狂乱している。

正気の沙汰じゃない。おかしいとしか言いようがない。


僕は、誇張しなくても、尽力していたではないか。

もちろん他人よりは劣るし、普通の人が当然持っている力を僕は持っていなくてその埋め合わにすぎないという観点を論じる人もいるかもしれないけれど。

でも、紛れもなく僕は尽力していたし成長だってしている。



何が就活だ。何のためなんだ。

何のために嘘をつくのだ。



もう止めにしないか。



あるがままの自分で十分戦えるはずだろう。

過去の自分を紡ぐ言葉を持ち得ていないだけなんだろう。


ならば、必死に考えようよ。何か見えてくるはずだから。



感謝しよう。当時の頑張りを。

当時のことをありのままに話したい。それで良いじゃないか。



安定なんているのか。不安定でなにがいけないのか。

己の人生だ。もう少し、真剣に考えようよ。