失ったもの。
「空白の2年間」に多くのものを失った。

遊びも信頼も幸福も勉学もなく、ただただ、「自分の悩み」に埋没していた。
毎日解決しようと、机の前で悶々ともどかしい日々を過ごしていた。
あのときもっと、違う考え方で生きていれば大学という貴重な時間をきっと有意義に使えていたのではないかと思うことがある(あった)。

「空白の2年間」を抜けてようやくスタートラインに立とうとした頃、周囲の人々は遥か先を走り続けていた。
失っていた時に、彼らはどんどん成長していた。僕が右下がりの直線で彼らが右上がりの直線。
幸福も勉学もすべてにおいて差があるのは明らかだったように思う(思っていた)。

これが、「僕はこれからの人間」と考える所以でもある。


得たもの。
「空白の2年間」があったから多くのものを得た。

論理的思考もノートに感情を吐露し修正することも戦略的に考えることもノートで試行錯誤を繰り返すことも心がおれなくなったことも。
この期間がなければ、僕はきっと、就職活動で大転倒していたかもしれない。
精神を蝕まれ、何が原因でだめなのかわからず、試行錯誤をすることもできず、支離滅裂に話していただろう。これは、もちろん自分の性格を前提としてのことだけれど。

これらは机に向き合い続けていたころに得たものだった。
喪失の中で獲得したもの。



失ったもの。得たもの。
どちらも重大であり比較考量しえないものかもしれないけれど、「空白の2年間」は僕のアイデンティティを形成するうえでは大切な大切な期間だったのかもしれない。


だからこそ、「この1年間が勝負」なのである。
可能性を引き出すとともに、+αとして「空白の2年間」に埋められなかったものもコツコツと対面していきたい。


もう少し先を生きれば、また違った考え方になるのかもしれないけれど、7月24日地点の感情は以上である。


「空白の2年間」の先を生きる喜びを噛み締めて生きていきたいと思う。。

日記やブログは僕にとって大切なものである。
その時々の赤裸々な感情の吐露は、「その時」の薄霧を振り払うだけでなく、「今」の自分に対しても語りかけてくれる。肉迫する何かがあると思う。


就職活動時や就職活動後の考え方は「今」の僕に対して自省の念を与えてくれる。
「僕はこれからの人間であり、この一年が勝負」という文章は、僕を歩むべき道に引き戻してくれる。アルバイトだとか、日々の雑事に埋没している時間なんてないのだ。


6月と7月初頭はサークルの事業に注力した。これはこれでよかったし課題と可能性が見えた日々だった。何よりも、おもしろかった。


だからといって、そこにすべてをを注ぎつくすわけではない。あくまでも、僕の主眼はこの開かれた世界で、勝負の一年を歩むのであって、それを忘れてはいけない。「空白の2年間」を越えた意味をもう一度噛み締めるべきなのだ。


そのための絶好の機会があるのも事実。言い訳はいくつもできるけれど、歩むべき道はこっちであるはずなのだ。就職活動後の感情を振り返るとこの機会を見逃す理由はないはずである。


とまあ文章を書いている間に身が引き締まってきた。考えがまとまってきた。
きっと困難であるけれど、だからこそ、僕はほんの少し先にいけるのだと思う。

暖かな空気が淀んでいる。
麦畑がゆらゆら揺れ、田植えをする人が泥だらけの靴を誇らしげに歩いている。
5月8日、今日も今日が始まる。


一先ず就職活動が終わった。
ここでは、あれこれと回想するようなことはしない。


再始動。
次の段階に目を向けなければいけない。
なぜならば、まだまだ未熟な存在であることを痛感しているからだ。
あと328日残っている、最後のモラトリアム期間を1日たりとも無駄にできない。

気を引き締めて、自惚れることなく、謙虚に、邁進したい。
常に自分に負荷をかけよう。

しんどい時、眠たい時、やる気が出ないとき、苦手なことに直面している時、
こんな時こそ、自分を成長させる機会。苦しい時こそ成長する。

また歩き始めたい。