雑感 | おのぼりさんのブログ

おのぼりさんのブログ

このブログは 日々感じたことや出来事、考え方の変化、体調の変化などを 綴ったり記録したものです☆

ベンゾジアゼピン系薬の離脱症状の体験や 慢性疲労症候群(CFS)との闘病の事も書いています

ふうう。。。   ステビアが到着してた!!!

 

 

 

 

メール便っぽいので。。。☆ ただ。。

 

 

 

 

あれ。。  中国産かと思ったら パラグアイ産のが来た。。。

 

 

 

 

まあいいや。。。

 

 

 

 

でも 本日は ティーツリーオイルを試してみるかな~

 

 

 

 

せっかくアトピー出てるし。。。 まあちょっとだけね。。

 

 

 

 

ステビアは明日以降でもいいかな。。 

 

 

 

 

なんか  。。  薬物逮捕者の報道多いね。
 
 
 

 

 

 

 
   俺おもうんだけどさ。。
 
 
 
 
薬使っても幸せにはならないよな?
 
 
 
 
俺が思うに、
 
 
 
幸せを一番実感できるのってある種 不幸を経験すること
 
 
 
 
じゃないかなって思うんだよね。
 
 
 
 
逆説的だけどね。
 
 
 
 
たとえば今の豊かな文明社会生活から
 
 
 
 
1週間でも遠ざかってみれば実感できるんじゃないかな。
 
 
 
 
たとえば停電で電気使えなくなったりね。
 
 
 
 
幸せってのは ある意味では
 
 
 
 
減っていくにつれて感じる側面があるんじゃないかな。
 
 
 

だから年取るほどに人は精神が充実していく所が
 
あるんじゃないかな。
 
 
 
加齢でできることが減っていくから、
 
余計に時間や若さの有り難味が増すかもしれないし、
 
 
 
 
おいしいものだって限りある時にしか食べられないという
 
 
実感が増して目の前の食事が一層おいしく感じるかもしれないよね。
 
 

 

幸せが減っていくにつれて幸せになっていくのかもしれないよ?

 

 
 
ある程度まではね。
 
 
 
もしそうだとしたら、  生活全般がどんどん豪華になっていくのって。。
 
 
 
もしかしたら、  「どんどん 幸せを感じなくなっていく」
 
 
 
 
こともあるかもしれないよね。。
 
 
 
 
たぶん  ある一定のラインまでは  生活が豪華になっていく
 
 
 
 
ことに幸せは感じるんじゃないかなって思うよ。
 
 
 
 
たとえば 食べるものが無いっていう不幸な状況では
 
 
 
 
食べ物の有り難味を実感しようにも  なんもないんじゃ
 
 
 
 
実感の仕様も無いだろうし。。 そういう状況から
 
 
 
 
普通に 食事ができるまで、は  幸せは 上乗せされて
 
 
 
 
感じるものかもしれないよね。。 ただ、 あるラインを超えて
 
 
 
 
生活が豊かになれば  幸せは上乗せするほど  実感からは
 
 
 
 
 
遠ざかっていく、かもね?  まあ 俺の考えね。
 
 
 
 
まあ 過ぎたるは及ばざるが如しっていう言葉みたいなね。
 
 
 
 
早い話スポーツだって サッカーで言うなら
 
 
 
 
味方にパスすることなく 自分で全部シュート打って決められる
 
 
 
 
ようなスペック持った選手は そのある種過ぎたる能力のせいで
 
 
 
 
チームとしての喜びを感じにくくなっていくかもしれないよ。。
 
 
 
 
足りないものがあるから  それを補うように ほかの幸せが
 
 
 
 
 
出現するんじゃないかなってね。
 
 
 
 
芸能人の人て お金には困ってないような人が薬に手を出す
 
 
 
 
イメージだな。   何層にも積み重なった、上乗せされ続けた
 
 
 
 
幸せの上で  実感できなくなった幸せを求めて さらに刺激的な
 
 
 
 
ものを求めた結果が  違法薬物なのかあ。。
 
 
 
 
 
まあ 別の側面もあるかもね いろんな要素が
 
 
 
 
 複雑に絡み合った結果
 
 
 
 
そういうものに依存したりしてしまいそう。
 
 
 
 
 
 
別に特定の逮捕者を分析して言うつもりはなくて
 
 
 
 
なにかに依存してしまう人を  メタな視点で見てみると
 
 
 
 
個人的に、 そういう人たちって、
 
 
 
 
「他人を愛せない」人たちもいるのかな?って思う。
 
 
 
 
 
「人間不信」というか。。
 
 
 
 
そんな感覚も受けるね。。  まあ全員がそうじゃないかもしれない
 
 
 
 
けどね。 生い立ちにおいて 親の愛情をあまり受けてない印象の
 
 
 
 
人とか見ると。。  孤独な生い立ちだったりね。
 
 
 
 
 親の過剰な(愛情のようでいて違う)
 
 
 
 
支配・批判・強制・干渉・言いなり そういうものを受けて育った人も、
 
 
 
 
とても自己評価が低い大人に育ってしまうような場合もあると
 
 
 
 
思うんだよね  そういう人たちもいるんじゃないかな。
 
 
 
 
それも ある種 他人に対してとてもナイーブで傷つきやすい
 
 
 
 
性格が形成されているかもしれないから ある種の「人間不信」
 
 
 
 
「他人を心から愛せない」 みたいなものかもしれないんじゃないかな。
 
 
 
 
一見すると 強気で  自己肯定感が低くは見えない人も
 
 
 
 
いるかもしれないけど それはもしかすると そういう強いキャラを
 
 
 
 
装って  批判を受けるのを恐れているのかもしれないしね。
 
 
 
 
または  自分を過去否定しつづけてきた、 心の傷を作った原因に
 
 
 
 
 
なってる人
 
 
 
 
に対しての恐怖から  同じような存在に自分も変化(へんげ)
 
 
 
 
して 負けないようにしてるのかもしれないし。 ここらへんは
 
 
 
 
俺は専門家じゃないから 間違ってるかもしれないけどね。
 
 
 
 
たとえば、ちょっとしたことで「カッ」となって
 
 
 
 
 
反論してくるタイプの人って
 
 
 
 
もしかしたらかなり締め付けのきつい母親や父親に
 
 
 
 
批判ばかりされて育ったのかなと想像したりする。
 
 
 
 
親から批判ばかりされてきたものだから、
 
 
 
 
相手の口調からすぐに批判の気配を察知して
 
 
 
 
 
防御・反撃姿勢を作ってしまう、ような。
 
 
 
 
そういう人って自己肯定感がとても低くて
 
 
 
 
それを悟られるのが嫌で 表向きは 強気キャラを作って
 
 
 
 
て、 一方  裏ではとても脆く、
 
 
 
 
異性に依存したり薬に依存したりしそうな
イメージ。
 
 
 
 
ちょっと甘い言葉を異性
 
 
 
に投げかけれると愛情に飢えてる分すぐに
 
 
 
 
心酔してしまうイメージで、それを利用されて悪い
人にかんたんに騙されそうなイメージ。
 
 
 
 
つまり、 愛情飢餓が本質だから  冷静に他人を
 
 
 
選ぶことができず  「この人は味方であって自分を批判を
 
 
 
 
したりしない人」というわかりやすい識別を一度してしまう
 
 
 
 
と そこに心を持っていかれてしまうような、イメージというか。。
 
 
 
 
突っ張ってしまう分やたら
 
 
異性の理想が高くて、表面的にお金や肩書き
 
 
 
包容力のありそうな人に惹かれるって
イメージ。
 
 
 
薬物に手を出してしまう人って、だから 他人を
 
 
 
 
あまり愛せない人の場合もあるのかなって思う。
 
 
 
 
だってさ  恋とかしたら薬物使わなくても
 
 
 
 
ドパミンみたいな快感のような物質はドバドバ出るんじゃ
 
 
 
ないかと思うし。 
 
 
 
 
自己肯定感が低いから 学業とか
 
 
 
スポーツなどにものめりこめないかもしれないよね。
 
 
 
 
何かに興味を持って学ぼうとするとき人は
 
 
 
それもドパミンみたいな快感のような物質が出るとおもうし
 
 
 
 
薬物って本来無くても人はそうやって 快感を感じると
 
 
 
おもうんだよね。
 
 
 
 
たとえば スポーツすれば内因性カンナビノイドが
 
 
生じるから大麻など(外から取り入れるカンナビノイド)は
 
 
 
本来必要が無いとも思うし。
 
 
 
 
心の傷から人はスポーツや 知識欲など に依存したりするかも
 
 
 
 
しれないけど、それは健全な傷の癒し方だと思うんだよね。
 
 
 
 
ただそれを超えて、人に依存したり
 
 
 
 
おかしな宗教に依存したり、
 
 
 
 
おかしな破壊活動や思想に妄信したり、
 
 
 
 
美容に依存したりすると
おかしなことになるんじゃないかと思う。
 
 
 
 
過激な動物保護団体やら
 
 
おかしな宗教的原理主義者やレイシスト、
 
 
 
整形やタトゥーなどを過剰なまでに繰り返す人、
 
 
 
ろくでもない異性などに依存する人、
 
 
 
ギャンブル依存、ゲーム依存、アルコール依存、
 
 
 
 
こういうのは強い心の傷が背景にある場合もありそうだよね。
 
 
 
 
 
その深い心の傷を癒すためにスポーツや芸術や
勉学などの世界に 健全な形で向かうことができたら
 
 
 
 
むしろ 心に傷を持たない人よりも
 
 
 
高いこだわり と集中力で  成功できるかもしれないしな。
 
 
 
 
苦しみをバネにするっていうかさ。
 
 
 
 
 
良からぬものに依存したり嵌る人は
 
 
 
 
比較的他人に比べて 学習とかスポーツとか
 
 
 
 
の入り口や導入部分において不利な幼少期を送っており、
 
 
 
 
喜びを知ることが少なく 大人になって行ってたりしないかな?
 
 
 
 
 
いわゆる毒親によって 人生の初期の大事な大事な
 
 
 
 
知識の世界や スポーツや芸術の世界への扉が 開かなかった
 
 
 
 
人たち  そして 他人への愛情を感じられなくなるほどに
 
 
 
 
人間不信になるほどに 否定されたりして 育った人たちは
 
 
 
 
いったい 大人になって   なにに喜びを
 
 
 
 
見出して生きていくのだろうね。。
 
 
 
 
子供のころに作ってもらったおいしい食事
 
 
 
 
親と一緒に見た映画  親に通わせてもらった塾や スポーツクラブ、
 
 
 
親じゃなくても 兄弟や姉妹と一緒に 楽しんだものとかさ
 
 
 
 
取り組むことで応援してもらって 自信を身につけた習い事とか
 
 
 
 
がんばることができた勉強とかの科目とかさ
 
 
 
 
 
みんなそういうものが  大人になっても 薬物に嵌らなくても
 
 
 
 
いいように 心を支えているんじゃないかと思うんだよね
 
 
 
 
まあ  これは俺の考察ですから
 
 
 
 
専門家でもない人の考察ですから  間違いもあるかも
 
 
 
 
しれませんが。
 
 
 
 
 
虐待や体罰の問題とかさ 
 
 
 
子供を人権侵害から 守るのって大事じゃないかなって
 
 
 
 
思うね   そして  大人になっても心の支えになるような
 
 
 
 
素敵な体験を子供たちには幼少期にしてもらいたいな~と。
 
 
 
 
普通に  全教科を 学習できて  好きなスポーツにも
 
 
 
 
 
取り組むことができて(まあ すんごくお金のかかるスポーツは難しいかもしれないけどね)
 
 
 
 
芸術とか 音楽とか  自分の好きなものを体験できて
 
 
 
 
 
そして  間違った教育をする親から 安全を確保する権利も
 
 
 
 
 
社会が保障してあげてほしいな~と。
 
 
 
 
親の財力による 偏りもあるかもしれないけど、
 
 
 
 
その格差があまりに大きくなると  ある子は
 
 
 
 
嫉妬とか 劣等感ばかりが大きくなるかもしれないしなあ。
 
 
 
 
 
嫉妬とかって 過剰になれば それも「人間不信」 「他人を
 
 
 
 
愛しにくい」ことにつながるんじゃないかと思うし。
 
 
 
 
それは いづれ  良からぬ物に依存してしまうことにも
 
 
 
 
なりかねないよね。  やはり俺は  1億総中流、 見たいな
 
 
 
 
あまり  トップと  最下層の  格差が無い社会が
 
 
 
 
好ましいんじゃないかと思うんだよね
 
 
 
 
そのほうが 富める人たちも より良い、
 
 
 
 
治安とか・商品やサービスの質とか・
 
 
 
 
国際経済競争力とかの 恩恵を受けて得するんじゃないかと思うし
 
 
 
 
 
ふう。。。   本日は俺は  親が日帰り旅行なので
 
 
 
 
 
1人でお留守番なのです。。。  
 
 
 
 
 
ラーメンと みたらし団子を  お昼に食べようという作戦なの
 
 
 
でございます。。  

 

 

 

 

 

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6342685

 

 

 

香さんとコンサートやってた西川悟平さんの記事発見☆

 

 

 

 

 

 

あ~  本日はちょっとだけ頭が締まるような頭痛の前段階的な

 

 

 

感覚があるね。 あと 鼻炎で鼻水出て 鼻の穴の淵が

 

 

 

ちょっと切れて痛い。

 

 

 

お通じはもう最悪レベルの悪さで アトピーも連動してるかの

 

 

 

ように かさぶたとかは減ってきてるものの かゆみが強い。

 

 

 

頭痛が強まってきた感じ。。これだと サンザシ2分の1カプセル

 

 

 

でも足りないかも。。