雑感 | おのぼりさんのブログ

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このブログは 日々感じたことや出来事、考え方の変化、体調の変化などを 綴ったり記録したものです☆

ベンゾジアゼピン系薬の離脱症状の体験や 慢性疲労症候群(CFS)との闘病の事も書いています

言い訳するのって大事なことだと思うね




日本だと 言い訳するなっていう 教育があったりするけど




言い訳するというのは  相手に対して 冷静に状況を説明するという




コミュニケーション能力のひとつだとおもう   





その 言い訳を禁止したらどうなるのか




禁止された側は 言いたい事を我慢していくのだから




積もり積もった我慢が ストレスになり   怒りに変わる  




相手に素直にはならなくなるのではないか?




言い訳を禁止するということは  会話という相互関係の片側の発言権にだけ制約を




設けるということだから




口封じされたほうは 相手に対してストレスがたまるとおもう




それが 怒りや反抗心に代わる




日本の言い訳禁止文化に疑問の昨今。  




受け入れるところは受け入れる必要がある 非を認める必要もある




しかし  それは 言い訳も含めた  冷静な対話というプロセスを経たほうが良いのではないか?





元サッカー日本代表のザッケローニ監督は  人格者だともうが




現役中は 言い訳がましいと揶揄されもしたが




たとえば   試合の敗因が  明らかに 日程的な不利だったり ピッチコンディションの問題だったり




審判のミスジャッジだったりした場合に  それを 会見などで語ることは




問題が無いと思う  海外では普通なのではないだろうか




日本人から見て  海外の監督が言い訳がましく感じるとしても




むしろ 海外では  自分の考えを述べることは  言い訳ではなく 当然の権利であり




会話の基本なのだとおもう   日本人はディベート能力が低いとよく言われるが




その原因のいったんは  幼少期からの  言い訳行為の禁止にあるような気がする




言い訳をよしとすると  会話は長たらしくなる  それを 親がめんどくさく感じて




時間的に早く済まそうとして




非論理的感情的に 一方的に結論を押し付けたりすれば  子供は 会話の権利を剥奪されたと




感じるだろうし そういうのを当たり前として身につけ  大人になれば 自分の子供や 周囲にも




言い訳を拒絶するかもしれない




もちろん言い逃れは良くないと思う。




しかし 言い逃れをしようとするのは  その時点で  相手との信頼関係が無い証ではないか?





言い逃れに至るまでに  その人は   多くの言い訳(=正当な説明)を禁止されてきた過去が





あるのだと思う     どうせ言っても分かってくれないや  




何を言っても言い訳と受け取るんだろう   という予測、経験則が先んじるので





きちんとした冷静な説明もする気がなくなる  どうせ言い訳だと揶揄されるから





自分の非を認めたくなくなり 最後は逆切れになったりする





言い訳だけじゃなく    日本には  ある種  





会話  対話において  主従関係が  強く存在し勝ちだとおもう





上司と部下    親と子   などのような。





こういう関係においては 下の立場の人は  上の立場の人に口ごもる





言いたいことが言えないことが多い   文化的に日本はそういうところがあるとおもう





外国を見ると   スポーツにおいて  選手が監督と対立し 試合をボイコット





みたいなことがある   主従関係というより あくまで対等というかんじだ





会話の上では対等というかんじだ   もちろん  指揮権はこの場合監督にあるので





理不尽なことが無ければ従うべきだとおもうが。。。




ミランの本田選手にしても  ミハイロビッチ監督は  「従来の日本人とは違うようだ」と




話している  やはり海外では  日本人= 上の人に意見することがない国民性




と思われているのだろう




こういうのは やはり 少し変えて欲しい気がする




母の  コレステロール降下薬の副作用にしても  自分の医師との関係にしても





患者側から  副作用のことや治療法について  言及がしづらい




もちろん言及してみると  礼儀をつくしていても 医師のプライドを刺激してしまうのか




表情が曇る   そういう文化で育ってきたのは医師も同じなので




患者が医師に意見するなんて。。。という感情が沸き起こっても不思議ではない





なので  とにかく  やりにくいなと感じる




あたりまえに  ディベートできる環境があれば 物事はもっとリスク無く スムーズに進むのにね







サッカーでも  プロとなれば 試合中は  年齢差があっても




先輩を呼び捨てで呼ぶ  試合中に敬語や ですます口調なんて使ってる暇は無い




相手に正確に速やかに物事を伝えきるには  主従関係や上下関係は




場合によると 障壁になるよね




海外では  上司も  敬称なしで呼べるのだろうか  だとしたら 羨ましいと思う




今となっては  当時の 本田選手の中村選手への 「僕に蹴らせてください!!」的なアピールも




至って今の世界標準だったなと思う   ただ  日本だと それは無礼な行為にあたるかも




当然 フリーキックは  先輩が蹴るもの  という  不文律があったと思う




ただ   練習の時点で 決めておいたらよかったのにとも思うが(笑) 




いや 決めてたのに 試合中に本田選手が蹴らせてといったのかも(笑)





だから海外のクラブ慣れした選手が 帰国して代表チームに入ると





時差ぼけならぬ   文化ボケみたいなのを起こす可能性がある   




あ  そうだ  ここは日本のチームだった  言いたいことはセーブしなきゃっていう




脳のシステムチェンジをしないといけないのかも





  サッカーにおいて重要なのは   試合中のこまかい戦術変化だよね




もしも  天才的ゲームメイカーが誕生して  その選手が19歳ぐらいで代表に




入ったとき   周りの年配の日本人選手たちは その子の意見を聞くことができるだろうか?





香川選手みたいな愛されキャラだったら可能かもしれない




可愛いから何でも聞いてあげるよ♪ って先輩に思わせればなんとかなるか(笑)




ゆえに日本では ぶりっ子は強いのだ  意見せずに目上の人から寵愛を頂戴でける!!!




(同世代からはやっかみの対象になりえますが。。。)




なので  本田選手も ミランを変えるためには  愛されぶりっ子キャラに




チェンジしたらよかったかもしれないが




性格上無理ということもあるだろうね




選手同士の意見の合意形成は やはり 難しいとおもうね




日本のような上下関係がなく フランクな文化だったとしても 譲れないところは



譲れないことがある




なので  ほうっておくと  11人のピッチ上の選手は なかなかまとまらないもんだと思う




そこで 重要なのは監督だと思う




今季のドルトムントの監督は 一人ひとりの選手に こまかく仕事内容を設定している




これによって 選手同士で  やり方の違いでの衝突が生まれることは無いのだ




愛されキャラもいらないのだ   いじられキャラもいらないのだ




監督がこまかくタスクを割り当ててないチームだと 意見の衝突が起きる




その場合は 誰かが  いじられ役をになって  愛されキャラもとい




馬鹿キャラを演じなくてはいけなくなるのではなかろうか





日本は お笑いの文化が好きだ その背景には




誰かが馬鹿を演じてくれないと  集団組織において衝突が起きやすい




という、  構造的に 相互の対話能力が低く 決着がつきにくい あるいは




上司の部下への指示があいまいで  部下同士 指示をめぐっての解釈の違いによる




衝突などが起きやすいという  大きな問題があるのではないだろうか




ある種の家庭においては




家庭のリビングで お笑い番組をつけてないと  空気が持たないとか




そういうことも考えられる   子はかすがい ならぬ テレビはかすがい  お笑いはかすがい




どじっ子はかすがい  急な屁はかすがい  大きいほどいい




ってことで  会話能力  とりわけ ユーモラスな会話能力も大事だなあって^^ 




なんつって^^   ここまで 全部俺の妄想