普遍視線がなくて中高時代に苦労したと以前書いたが↓

https://ameblo.jp/97116455/entry-12853172765.html


精神科の主治医にその事を言うと、⇀普遍視線は実はどこにでもあるよ、(指差し)この花瓶を見て立体に見えるだろ?画用紙に書かれた立方体も平面に書かれた1スライスとして見ているはずなのに頭の中で立方体として認識している。これはあらゆる側からの本当はないはずの視線が集まって立体という認識を作っていると言えて、つまりあらゆる側から見ているかのような視線を持ち統合している、これが普遍視線の事だ。


と教えてくれた。なるほど興味深いと思った。そういえばデイサービスでの子供達の課題としてこんなのがあり(↓参照)正に一つの発達段階を示しているかもしれないと言うと、

https://ameblo.jp/97116455/entry-12855635832.html


そのまま平面的に展開図の出来損ないみたく見える人は重度自閉症の人とかにいると言うから私は閃いた。


⇀実は私も不意打ちされたりする時、錯視が錯視に見えずそのまんま見えていたり、ありきたりの絵や風景が全然意図を欠いて細部からまんまに見えたりする。しかし、あの図抜けた高校生のようにアスペルガー症候群+解離型想像力だと、アスペルガー的バラバラから、解離的に多視線から実際に見て情報を得る事で新しい統合が生じないか?


“アスペルガー+解離=最強説”である。


私も宇宙人からESPで色々な視線が情報として送られてくる事から気付くという事がよくある。解離による不可思議な発達障害の代償現象は他にもありそうだ。例えば、発達障害的な“曖昧さ耐性の無さ”も知能検査項目の“組合せ(パズル)”で曖昧なピースの試行錯誤により初めて全体像として正解が浮かび上がるという場面を考えてみると、本来ESP的な鋭敏なセンサー(何故か道筋が見えてしまう)事が代償的に働くだろうというのは想像に固くない。(=アンテナ的に要領を得る事と試行錯誤はセット)

私は普遍視線なく無思想に迷走していた中高から大学時代にかけて、しかしながら無意識的には極めて鋭敏に荘子体験をしていたりするのもこの辺、関係していそうだ。