以前、電磁波過敏症最中の出来事を書いたが↓
岸本寛史「がんと心理療法のこころみ -夢·語り·絵を通して-」という本を今日読んでいると、たまたまこれに思い当たる一節がありハッとした。引用する。↓

 「異界の言葉
ここで、言葉に焦点を移してみましょう。初めて描いたバウムを手渡されたとき、話の流れから、「最近眠れない」と言われたので、〈夢でも見られるのですか〉とさりげなく尋ねたところ、突然泣き出されたので驚きました。話を聞きながら少し落ち着かれたと思ったのですが、「指が震えて字が上手く書けない」と言われたので、励まそうと思って〈リハビリと思って日記でもつけられたらどうですか〉と言うと、また突然泣き出されたので、再び驚きました。「頑張ってとよく言われるけど、何をどう頑張ったらいいのかわからない、頑張ってと言われるのが嫌で嫌で仕方がなかった」とも言われました。「夢」「日記」「頑張って」など、普段それほど深い意味を込めずに使っている言葉が、思いがけない響き方をして、それに脅えたり怒りを感じたりしてしまうのです。
このように、言葉が通常の意味を離れてさまざまな連想や感情を呼び起こしてしまうのが、異界の言葉の特徴と言えます。ソシュールは、言葉の音声的側面をシニフィアン、意味内容をシニフィエと呼んで区別しましたが、これらの用語を借りれば、シニフィアンがシニフィエから遊離して一人歩きを始めている、と言うこともできるでしょう。このようなことは日常的意識にはあまり起こりません。それぞれの言葉はある一定の意味空間を持ち、それが共有されるからコミュニケーションが成立するのです。ところが、普段何気なく使ってある言葉が思いがけない連想や意味を持つようになると、言葉による伝達がうまくいきません。がん患者さんとのやりとりを見ていると、このようなことが起こっていると感じることが少なくありません。
このような状態では、医療者のほうは意思疎通が十分なされたと感じていても、患者さんの心の中ではさまざまな思いが渦巻いていたりするので、思いがけないすれ違いが生じてしまいます。異界の言葉の特徴を理解して、言葉かけを慎重に行う必要がありますが、細井さんにはこのあたりの微妙な感覚を鍛えていただきました。」

やはり異界にいるという事か。当時、知識もなく、見れば分かるように異界を意識したやり取りは一つもしていなかっただけに、(記事に書いた瞬間ですら異界を意識していなかった)より新鮮にその様相が露呈していたんだろう。
 他にも、電磁波過敏症者のやる事が共鳴するように「分かるわ~」となるのは通常の感性を越えた異界的な所から来ている理解と考えられる。↓