デイサービスの図抜けた高校生がロシア語を仲間内の暗号挨拶のようにしていたと言っていたから、私の中高の同級生が小学生の時に塾で後ろの席なので見たら古代エジプト語の難しめの本を広げていた事を話し、自分でも思い出すきっかけとなった。その人はセンター試験をロシア語で受けて東大に現役合格している。

政木和三中島らもほどかは知らないが、私もすぐ隣にそういった早熟の人間がパラパラいた。プラナリアの頭を2つに切ったらどう再生するか等を研究して阪大の学術誌だかに載った中学生もいたし、たびたびブログに書いている元友人は16の時に父親の書斎にあったヘーゲルの哲学書を見ると、自分の考えてきたことがそっくり書いてあってこいつ(ヘーゲル)は天才だと思ったと言っていた。

私はまずさっきのエジプト語の子を見た時に、(親しくしていた子だったが)自分はこうなれていない、所詮点数が取れるだけの哀れな秀才か、とゾッとし何クソと思った。秀才にされてたまるものかと思いながら私も何かにはまれないかと悩んでいた。それでも小学6年生の時に、模試の試験中に熱に浮かされたように気付いたら数学的帰納法というアイデアで問題を解いていた。マッチ棒で図形を作る問題で当然、数学や数学的帰納法なんか見たことも聞いたこともなく、また模試はそのような解き方を示唆してなぞいない。これで私は何かを発見する事の快感や離れ業的難しさ等に気付く事が出来た。

以来、小学6年から中学時代にかけて色々発見的に生きられた。当時の私は秀才ではない事を発見者である事で示そうとし続けてきた。物を落下させたりして塾で遊び父親の本等で物理学に目覚め、中学生ではアインシュタインに傾倒した。中学生で数学を始めた日にまず二次方程式の解の公式を自分で導けないかから始めた。数学の公式を自分で考えて導けるかは一種のパズルのようなものだったからかなりハマった。

結局、物理学で早熟を気取ろうとして途中で挫折してしまったが独力でなんとしても考える習慣はついた。

ただ、学ぶ事を疎かにし過ぎた感は否めない。

以後、私が何かにハマり込めた感触を真に得たのは大学で留年して荘子の思索を始めてからだった。熱狂のあまり、学校に紹介された精神科医からは自閉的傾向と書かれた。

だから私は早熟にはなれなかったと思うが、今の精神科の主治医によると、早熟だけが良いとは限らず、後からはまり込む人もいて、早いかどうかは意外とポイントじゃないかもしれないようだ。