職場で、生徒の学校から配られた課題にパズルが出ていた。↓
この文章と絵を見て解き始めると、最初、問題の意味、状況がイマイチ分からずモヤモヤする事はないだろうか。だから色々ツッコミをいれたくなる。⇀“グラスの形は維持しないといけないのか?”とか“グラスの中から外に、とはどうなっていれば良いのか”とか。文章が不親切で分かりづらいと文句を言いたくなるのではなかろうか。
 
そして試行錯誤したりしていくのだが、一度答えが分かると初めて問題文や絵の意味、意図も分かると思う。文意が通る。
そこで改めて解けた時の状況を振り返ると、正解の試行をし始めた時、なんかそちらに正解がある感覚がし始めて正しい道にそって勝手に進んでいたような気がしてくることがある。
色々な間違いの試行、正解の試行を道や迷路に例えると正しい道筋に行き当たっているとそれは正に“光っている如く”なのである。
 今、体験から抽象した事というのが発達、発展すると予知ESPのレベルの情報伝達効率(通常あり得ないはずの効率)が起きるように思う。つまり、ある道筋が元々光って見えたりするのだ。それは論理的思考とは異なる道行きなのである。
ところで私は授業を続け、知恵の輪を紹介した。私は知恵の輪が大好きで星田の塾勤務時代にハマっていた。知恵の輪をいくつか自作もした。もう、あの見た目や雰囲気、存在感、触り心地からして好きだ。(参照:知恵の輪“デビル”↓)

そして、こういうのをやらせてみる、あるいはやってみると分かるのは、学校の勉強は本当に学校の勉強に過ぎないんだな、ということだ。思考回路、思考の仕方の別の道が広大に存在しているのが明らかなのに、あんなもの、律儀に出来てやる必要なんかあるだろうか。
 
※Twitterでフォローしている人。知恵の輪を自作している。知恵の輪の世界