夜中アーシングをしていると、一つ目宇宙人が金の象に乗って出て来ました。地球の象を見て気に入ったのでしょう。

しかし、今日はそこから自己像視を試みることが共感覚的に決まり、やると出来ました。自分の姿が対面する宇宙人の視点に切り替わり、見えました。しかしそこで終わりませんでした。そうこうするうちにトンが出て来ました。

→Alien Mushrooms!

大きなキノコなのか、キノコ状の宇宙人なのか、不思議の国のアリスにでもなったような光景が見えました。

しかも、なんと今日は、そっちの世界にダイブ出来ました。庭に立って対面してキノコの生えた宇宙の光景を見ているのではなく、視点が変わり、宇宙の光景の中の登場人物になりました。登場人物として向きが変わり、又、相対的にキノコの背丈が急に大きくなったように感じました。イヴァンもトンが呼ぶと出て来ました。トンとイヴァンは同じホワイトオブジェクトの住人なんでしょうね。そしてホワイトオブジェクトの周辺か内部にはキノコの宇宙の光景があるようです。

 

このパースペクティブの変化と視点の切り替わり、世界の番号変更(1番世界から2番世界へというように)については以前の解離性障害者の症例に同じようなのがありました。(↓参照)

→症例G❲女性四〇代前半·解離性離人症❳

幼稚園の頃、自分が見ているオシロイバナも見えていたし、オシロイバナとそれを見ている自分も、自分の姿と庭全体も見えていた。家など全体を俯瞰している視点もある。いろんな視点にスイッチできていた。昔は視点が変わっても、世界は同じものとわかっていた。最近は、この体のこの眼から視線が出ているのをとても不自然に感じる。この視点に違和感がある。外からカメラアイみたいに見えるほうが自然に感じる。どんなアングルでもかまわないけど、この器のなかに眼があるのは不自然なんです。空間の外、劇場の外、舞台の外に自分はいる。これが自分だという意識はあまりない。世界は映画のようなもの。複数のカメラで複数のアングルで撮っている。こういったカメラの視点から、かろうじて世界を多面体として捉えている。自分はどこにでもいるが、どこにもいない。視点が定まらない。電話をしていると、相手のほうに私の意識があるように感じることがある。そっちのほうに自分がいる感じがする。

昔から知覚と想像は同質で同等のものだった。1番カメラ、2番カメラ、3番カメラ。知覚と想像という非対称性ではなく、知覚と想像1、想像2、想像3はすべて同等であり、そのなかのひとつとして現実があるにすぎない。幼少時からずっとそうです。現実世界は複数のパラレルワールドのなかのひとつにすぎない。複数のカメラが作動していて、スイッチを変えるだけです。今でも、私は複数のパラレルワールドのなかにいます。時間軸が何本かあるんです。

 

ある患者は「挿し絵入りの物語を読んでいると、挿し絵の端っこに自分がいて、その世界を見ていることがある」と述べた。図を参照していただきたい。

世界Aを現実の世界、世界Bを物語の世界とし、(a)や(b)はそれぞれの世界のなかに存在する自己を示しているとしよう。患者の言葉からすると、現実の世界Aのなかの「私」(a)が物語の世界Bを見ているパースペクティヴと、挿し絵の端にいる「私」(b)が物語の世界Bを見ているパースペクティヴがあるように思える。しかし実際には、物語の世界を見ているのは現実の世界Aのなかの「私」(a)ではなく、現実の世界の外に位置する私(c)である。(c)を媒介することで、現実の世界の内にあってその世界を見ている現実の「私」(a)と、物語の世界の内にあってその世界を見ている想像の「私」(b)の並列化したパースペクティヴが成立する。ここには「私」(c)のパースペクティヴが潜在しており、実際には(a)(b)(c)の三つのパースペクティヴの並列化が見られる。

 

多分、最初に自己像視で庭に立った自分を見た事がきっかけとなり、宇宙の光景にダイブまで出来たのでしょう。

キノコは何本かあり、実は数人のキノコ状宇宙人でした。楽しい時間を過ごしました♪

体外離脱とも異なるので便宜的に”ダイブ”と書きましたが、ダイブについてはまだほとんど未知の段階です。(↓参照)