以前の記事で宇宙人を異者の観点から捉える方針だけ書いて論じ残していましたが↓

田中崇恵著「“異”なるものと出遭う:揺らぎと境界の心理臨床学」を実際に読み進めて行くと、どうもユングの無意識というのは他者的観点から見ている触れ得ぬ他者であり、だから心理臨床の現場で更に異者異界を新たに提起していく必要性が出て来たという論旨のようです。(他者と異者の違いについては以前書いています↓)

 

そこで宇宙人が異者だとしてみると、ユングの無意識よりさらに深層にある宇宙の意識という概念の存在が現実味を帯びてくると思います。=異者である宇宙人との交流が生じるのは無意識を越えた宇宙の意識によるという発想

 

https://ameblo.jp/97116455/entry-12833389637.html 

 

心理臨床的な異者に迫っていく方針については次に引用します↓

⇀そこでは、自己や自我が中心となって、そこに物語としての文脈や、自己中心的な意図を持ってイメージを見ていくことを戒めている。これらは異者との出会いについて探究する際に重要な視点である。異者それ自体を、あらかじめ実体として語ることが難しい以上、その体験をめぐって引き起こされるイメージや事象を一つずつ取り上げて深めていくという方略をとることが必要になる。そのことを重ねながら、異者から何が語られるのかということを掬いとっていかなければならないだろう。

つまり、異者はポジティブに語ることのできないものであるがゆえに、異者の体験をめぐるイメージや事象を取り上げ、収束的でなく拡充(Amplifikation)させながら異者に迫っていくのである。そして、そこでそれぞれに生じてきたもの同士のズレや重なりから見えてくるものを取り上げていくことになる。」

 

下線部の、ポジティブに語れないという辺りが従来、異者としての宇宙人を加害者だと見做すことが多かった原因かもしれません。しかし、実はポジティブかネガティブかでは語れない越えた存在こそが異者ではないかとも考えられます。