主治医が、「綺麗に片付いた部屋というのは他者の目線なのであって、本人が居心地のいいのは、いい感じに散らかっている部屋ではないか。その時散らかって置いてある、落ちている物は本人の身体の延長上のようなもので本人と一体化している。部屋の片付けられない人が問題視される風潮があるが、どうかと思う。自分は、世に断捨離というのが流行って持て囃されているが、ああいうのが嫌いなんだ」、と持論を展開してきたので、(何か主治医の中ですごく引っかかるところがあったのでしょう)次の診察の時、思い付いた所があって、私も言いました。


“いい感じに散らかっている”は、地位や金銭のやりくりにも言えないですか?


 今の世の中は、やれ人生の見通しやら、計画的資産運営やら、先程の、いわば綺麗に片付ける力のように計画的、合理的な人生プランが“賢い人”であるかのように持て囃され、推奨もされているが、また地位の高い、名誉が高いという所には地位の見通しや戦略的に動くこと、また計画性を要求されてくるが、本人とって生き心地がいいのは実は“いい感じに散らかった”職場での人間関係の状態や、金銭状態なのではないか。そういう場合にもいい感じに散らかっているという感覚は大事ではないのか。これはつまり、あまり意識というのをせずに済むとしてそういう、いい加減さともとれる有り様を肯定することです。そのように生き方として考えてみると、いよいよ荘子的になってきますね。

 この話は主治医にも、それ、なんかいい考えだな、いい事を聞いたなと言ってもらえました。いや、私の主治医はちょっとやそっとじゃうんと言わない人ですからね。