戦争について吉本隆明が15歳の子供向けに簡単に書いているのを見つけました。

・戦争が悪なら、僕だって悪党だ

 平和になってから生まれたみなさんは、「平和が大切だ」っていう。じゃあ戦争はどうなんだっていうと、「戦争はよくない」っていう。そりゃあ、僕らもいけないと思ってますけど、そう簡単にいわれるとね。ちょっと待ってくれといいたくなる。「戦争はダメ」「平和がいい」みたいな、そう単純なひっくり返しでいくら考えたってダメだよ、この問題は。それじゃあ解決してないよって考え方は捨てがたいですね、今でも。今は戦争がいいだなんて主張をする人はいなくなりましたけど、昔はたくさんいたし、僕自身、戦時中は軍国少年だった。日本が戦争をした時には「正義は自分たちにあって、この戦争はいいことなんだ。勝つか負けるかなんだ」、そう思って戦争をしたわけで、戦争をする国は「自分たちに正義がある」と主張するものです。「戦争は悪で、平和は善」という主張も、僕には同じような単純さに思えます。そういうのは学校の先生が、「暴力をふるうヤツが悪くて、ふるわないヤツが善だ」っていうのとおんなじで、僕なんか、先生がそんなこといったらバカにしますね。「よせやい」って思う。だって僕らは当事者ですから。戦争することも、戦争で負けることも、平和も、みんな、うんざりするほど経験してきた世代です。そういう戦中派の僕らにしたら、戦争が悪なら、僕だって悪党だ。戦争中は悪党の経験を一生懸命やりました。それは本当ですし、いや、戦争よりやっぱりこのままがいいよってことも、しこたま経験したからね。

じゃあ、どっちがいいんだっていったら、両方ダメだよって思いますね。そう代わり映えのしないもんだよなあって。ただ、鉄砲持ってやるか、お金の代償でやるか、宗教のちがいでやるか、そういうちがいだけで、どちらにも全面賛成というわけにはいかない。

今は平和だっていうけど、中東でもアジアでも、小さな戦争はいくらでもあるわけです。一方が相手を「おまえたちがやってることはテロだ」っていったとしても、もう一方は「よせやい」っていうと思いますよ。

「よせやい。俺たちの方にもちゃんとこういう正義があるんだ。俺たちの正義のどこがおまえたちとちがうんだ」ってね。

どちらが本当かといえばどっちも本当で、そういう問題は、なかなか決着がつくようなものでもないし、またつけないようにしたいと心がけているんです。「よせやい」というのは僕の口癖ですが、そういうことに決着をつけない働きをしている言葉なのかもしれませんね。洞察し考えつくしたように見える問題でも、「おまえ、そんなふうにいうけどなあ」って異論はいつでも出てくる。

「戦争は罪でもない人が殺されるから悪だ」っていうけど、じゃあ、秋葉原で無差別に人が殺されたあの事件は何なのか。戦争っていうのは殺される人の数なんだろうか。

なぜ、何の関係もない人、偶然通りがかっただけの人を何人も刺したりするのか。僕らの若い頃にはああいうことはなかった。だけど戦争は<悪>だという論点からすれば、おまえたちは戦争っていうもっと悪いことをやってたからそれで満足してただけじゃねえか、おまえらの方がよっぽど悪いんだといういい方も成り立つ。人には何か、そういう根源的な危うさがある。

今は平和で平穏な社会に思われがちだけど、内面的な精神の問題をかいくぐっていくには、相当難しい時代に移りつつあるんだというのを感じます。そういう危うさをかわしていくには、孤独の問題に耐えきらないといけない。耐えきれないとちょっと参っちゃうよというようなね。

 

なるほどな、と思いました。

例えばこのツイート。こんなクズがどこから湧いて出てくるんだとはたと思ってしまいますが、やはり戦争はそんな、単純に考えて防げるものではないんでしょうね。

→しかし、だからこそ、私は兵役逃れ一択だなと考えます。

 

こういう戦争の際なんかに荘子の思想の真価が問われるんだな、とも。ここで言えば、正義を振りかざすことそのものの問題視と戦争は、”戦争犯罪”とかではなく”戦争=犯罪”という認識が大事になると思います。

貴方は、国家だイデオロギーだと派手にやっていましたが、それではその向かう先にどうしても戦争なんかやりだすしかなくなってもそれでいいんですか、と。

戦争が当人達にとってどれだけの理由付けを持っていようと、それからは只加担しないで逃れるしかないのです。

 

 

 特によくないのは戦争に現実を振りかざす近頃のメディアなんかでよく見る風潮です。