集団ストーカーを調べる探偵業をしていた古牧和都さんの親としての子育ての側面に注目です。この人は本質に沿ってものを考え行動する人で、親としても優れているな、と思いました。↓の記事をご覧ください

→「私は子供に勉強を強いる事には疑問を持っている。その為、勉強を強要した事はほとんど無い。その代わり、将来の目的を持たすようにしている。勉強などは、自分で目標が出来れば自分で勝手にするようになる。何の為に勉強するのか?そこの所を自分で見出させる。そして目標を持った勉強は、質が違う。

但し、学校の成績は悪くなる。私は、成績の為の勉強ならしない方が良いと思っている。自分の為の勉強と言う意識が無ければ、知識は役に立たない。」

 

この考えで親として実践できる人はたいした親だと思いました。

自分の取った悪い点数に向き合う事で自分に正直になる勇気が身につきます。空気を読んで良い点数を取る事に走らない勇気もです。これらの習慣は、将来大人になって、世の中という悪弊に陥らない、流されないよう身を守ってくれます。

受験産業に(造反者として)身を置いた事のある人間として、成績主義の愚行だけはあまた見てきたので、古牧さんのような考え方が世の親に広まればな、と私は思います。

 

 

というのも、成績主義が愚にもつかない大人を作り上げる元凶にもなっていると考えるからです。子供時代のそれはやがて形を変えて、大人の、一人の人間としての人格形成を蝕みます。特に、子供達の受験現場を見ていると、私には成績主義は取りも直さずソフィストへの道のように見えます。人の顔色を伺い、点数を稼ぐような大人のことを指しています。(受験業界の成績主義のやっている事は、ソフィストの主義主張と非常にセンスが似ているという意味です。ソフィストとはギリシア時代に横行したと言われる詭弁家の事です。)

 

例えば、今の子供は“点取り虫”という言葉を知らない子供が多いので、私はその言葉を辞書で、ひくように指導しています。