平和主義を掲げ、戦争を公然と批判した。「2%の人間が兵役拒否すれば、政府は戦争を継続できない。なぜか、政府は兵役対象者の2%の人数を収容する刑務所を保有していないんだ」と発言し、反戦運動に影響を与えた。

→戦争に関してこのアインシュタインの論理の線、姿勢から一歩でも妥協したり戦争を相手にしてはいけないと私は思います。↓

具体的に言うと、こういう現実的を語り妥協しだす詐欺のような手口が言語道断なのです↓(はっきり言って反吐が出ます。)
 
アインシュタインの非政治性は不思議なことに、荘子のそれに非常によく似ているところがあります。両者の生まれた時代や洋の東西、そして思想も異なるものだとは思いますが。(特に、アインシュタインの思想は、彼の物理学と、西洋的自由の主張に基づくもので荘子の東洋的自在とは異なるとすべきです。)
 
  • 有名な逸話だと荘子が国からの招聘を断ったように、晩年のアインシュタインもイスラエルの国の大統領になってくれと言われて断っています。
 
  • アインシュタインは、有名な言葉を残しています。「政治は片時の事だが方程式は永遠だ」 …この言葉はアインシュタインの非政治性を如実に表していると言えます。
 
  • アインシュタインは、既に若いときから軍国風の規律重視の学校教育(ギムナジウム)に馴染めませんでした。また、ナチスをいち早く疑い憎んでいました。
 
  • アインシュタインは、兵役を扁平足を理由に免除され逃れています。この事実も荘子の説話に絡めやすいものです。・・・『支離疏者、頤隱於臍、肩高於頂、會撮指天、五管在上、兩髀為脅。挫鍼治?、足以餬口。鼓筴播精、足以食十人。上?武士、則支離攘臂而遊於其間。上有大役、則支離以有常疾不受功。上與病者粟、則受三鐘與十束薪。夫支離其形者、猶足以養其身、終其天年、又況支離其徳者乎。』(『荘子』人間世 第四)
→支離疏(しりそ)という人は、背骨が曲がりあごがへそに隠れるほど、肩は頭より上にでっぱり、髪のもとどりは天を指している。脇の下がもものようであり、内臓は頭より上にあるような姿をしている。(そんな姿をしているが)縫い物や洗濯を仕事とし、脱穀をさせようものなら、十人を養うほどの才能が有る。たとえ戦争が始まっても、支離疏はありがたくも頂戴する徴兵の義務を免れるし、土木の労役も免れるので、駆り出される男たちの間をぬってのんびりと暮らしていける。王から病傷者への施しとしての三鐘の粟や十束の薪を、彼は真っ先に受けることができる。他人と形の違う彼は、その身を養い天寿を全うできるのであるから、心が他人と違っていようが、命を全うできることであろう。」 ↓
 以上見てきたように、アインシュタインの非政治的な独特のものの考え方、絶対に妥協しない高らかな余裕の姿勢は、やはり荘子の非政治性に通じるところがあるのです。真似をしたとは思えないので、偶然の一致ではないでしょうか。すごいですね。アインシュタインは物理学では晩年は色々と苦しんでもいましたが、思想的には最後まで非常に優れたものを持っていたと私は考えています。非政治性というのは、立派な、思想的な立場なんだという事も分かってきます。

 

 <以前消した記事より引用> そもそも政治は迷惑行為、戦争は=犯罪という認識がないのが問題だな、と思うわけです。つまらない政治なんかに心を煩わされないで非政治的に生きるに限ります。荘子の思想は非政治的な特徴があります。  by鴻蒙