記憶の情報の動きには量子のような性質があるという仮説です。もしかしたら、私たちの記憶されている人物や色々な登場するものに割かれている量子は意外と小さいのかもしれませんね。この量子という言葉の意味は引き寄せの法則がどうとか言っているのではなく、

量子力学が量子的であるという性質を再度仮定し

その性質を満たす系として記憶の仕組みを考える

つまり、物理学の量子力学がそもそも量子的性質を持つ系なのだととらえ直すことから始めるわけです。逆転の発想です。なぜ量子力学がうまくいったかというとそういう、情報の量子的性質を物理学の範囲で仮定したからだ、と。つまり量子的性質は量子力学に固有の具体的側面なのではなく、抽象された次元にあるものだったとしたということです。

→だとしたら別の系があってそれが量子的性質を満たしていたとしてもおかしくはないわけです。

 

 

 その他にも、記憶情報の量子性から説明のできそうな事象はこの、憑依現象のへの字曲線とかですかね↓(記事参照の事)

 https://ameblo.jp/97116455/entry-12759804971.html 

 

 

「シュレーディンガーの猫がいっぱい-多世界解釈がひらく量子力学の新しい世界観-」和田純夫著 という本で分かりましたが、多世界解釈(並行宇宙説)の提唱者エベレットは宇宙全体を量子力学的に考えると観測問題はどう捉えられるかという問題意識が彼の頭にはあったようです。量子力学が物理の根本原理なら、私たちの住むこの宇宙全体を、また人間の意識でさえも量子力学にもとづき扱わなければおかしいという発想がエベレットに芽生えました、それが多世界解釈の発想の原点です、と書いてあります。私はこの発想には基本的には賛成していませんが、意識や記憶情報の量子性を考えてみる分には参考にしています。