2014年11月13日
この日は、私にとって大きな2つのことがありました



1つは、父の命日



朝、父が生まれ育ったところにあるお墓へ
天気もとても良くて、父が待っていてくれているようでした



いつも御線香をあげる時に、自分に問う事があります

『 自分は今、幸せか? 』



父が亡くなる数分前、病院のベッドの横で父の手を握りながら
 「 絶対、幸せになるからね 」
と誓ったからです



私が高校を卒業した年だったから、これからの私の人生を心配しないはずがない
せめて、安心して欲しかった



普段から病気なんてした事がなく、寝込んでいる姿もほとんど見た覚えがない
相当我慢していたと思う
病院に行った時は、もう手遅れだった
悪性の腫瘍だった
入院して、半年も持たなかった
でも、
心の準備はする事が出来た
病室に入る前、いつも手前で立ち止まって、顔を作り直していた事をよく覚えてる
笑顔を作ってた
父に、気付かれないように
最後まで誰も父には病名を伝えなかったけれど、自分の体が良くならない事、気付いていたんじゃないかな
悔しかったんじゃないかな



あなたの娘として、こんな試練を与えられたけれど、ひとつの命の大切さ、儚さを若いうちから真剣に考えられるようになったような気がします
身を以て教えてくれた、大切な事と、強く生きていく事と、人の痛みを理解していく事と、後悔しないような生き方をする事



あの日から年月も経って、色んな事があったけれど、父は全て見ていてくれていると思います



そして、今の私が自分で幸せだと思えている事と、今日これからひとつの大きな夢を叶えてもらえる事を父に伝えました



それから、空港へ
夢の実現の為に
横浜スタジアムへ



愛しくて大切な人が、今までずっと願っていた野球をする姿を観せてくれる
父も大好きだった野球
私が高校で甲子園に連れて行ってもらうたびに、普段は強面だった顔いっぱいに笑って、とても喜んでた



私にとっては、この日の数日前になってもまだ信じられないくらい、大きな夢の実現



飛行機が離陸するあの感覚で実感を体感して、現実なんだと思えました



夢が叶っていたあの時間、現実になっていたあの時間、今でも思い出すと幸せな気持ちで胸がいっぱいになります



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あの時の気持ちはコメントとして書かせて頂いたけれど、胸の中の気持ち全てはとても伝えきれません



最後に言ってくれた言葉
「 ブログの中だけで‥
野球をやっているのを観せれないのが残念で‥
球場を借りて、皆さんの前で野球が出来る事を幸せに思います 」
こんな言葉だったと思う
とてもとても嬉しかった



ずっと観たかった
ありがとう
夢を叶えてくれて
ありがとう
本当に幸せに思います



次の日、帰りの飛行機の窓から東京の夜景を見つめていました

この街で、あの人は家族と離れてもう何年も頑張っているんだなぁ

私もこの街で、同じ街で生活を始めてみようかと、静かに本気で思いました



遠くなっていく
次はいつ会えるんだろう



泣いてしまうとコンタクトレンズが曇って見えなくなってしまうから、無心になろう無心になろうと思っても無理でした



それから自分の街の夜景が見えてきて、今の私が着地する場所はここなんだと、また会える日まで頑張るしかないんだと思いました



大怪我を抱えていたのに、終わるまでその事を明かさずに黙って人の幸せの為に頑張ってくれていた
この事を知って、目が覚めたように自分も目の前の色んな事を頑張ろうと心から思えました

いつも私を大きく、暖かく支えてくれる大切な人

出会えて良かった
これからも私は、あの人を想い続けると思います



そして今ここに、父からもらった命を持っている事に感謝します