1987年12月27日
東京・両国国技館
イヤーエンド・イン・国技館
観衆:1,090 超満員札止め
メインイベント:60分1本勝負
長州力vs.アントニオ猪木
試合前、たけし軍団とビッグバン・ベイダーを引き連れて現れたマサ斉藤は、『猪木!この男と戦え! 俺がわざわざアメリカから連れてきた男だ! 怖いか? 猪木! 出てこーい!』と挑発する。
これに対してリングに駆け上がった猪木は、『よし斎藤! 受けてやるぞ。(観客に)どうですか?(藤波、木村に)まかせろ俺に! おめーら! てめーらこんなことされて黙っているのか?』という茶番の末、急遽カード変更が告げられるのだが、アントニオ猪木vs.長州力の世代抗争を楽しみに来ていた観客からは、やめろコールの大合唱…
特別試合:60分1本勝負
◯長州力、マサ斉藤
(6分30秒 ラリアット→体固め)
藤波辰巳、×木村健吾
「長年プロレスをやってきて、あんな惨めなことはなかった。それまで俺と長州の試合というのは、新日本の看板、ドル箱であり、俺にとっても誇りだったんだよ。それがゴミが飛んでくる中やらなきゃいけないんだから、情けなくて思い出したくもない」
藤波辰爾
突然のカード変更で、猪木と戦うはずだった長州はマサ斉藤とタッグを組み藤波、木村組と対戦することになるが、これに納得のいかない観客からは終始鳴り響くやめろコールと共に、食べかけの弁当箱やビールのカップが次々と投げ込まれる。
そんな状況に怒りの収まらない長州はリキラリアットで木村を鎮めた後、マイクを持ち「何で俺が代わらなければならないんだ! 試合だけはやらせてくれ! 猪木は俺が倒す!」と猛アピール。
この会場の異常な空気を察しての緊急処置なのか? このアピールが認められ、5分のインターバルを置き猪木とのシングルマッチが行われることになる。
特別試合:時間無制限1本勝負
◯アントニオ猪木
(6分6秒 反則負け)
×長州力
ファンの悲痛な叫びが届きようやく実現したアントニオ猪木vs.長州力のシングルマッチではあったが、自分の書いたストーリーが受け入れられなかったことに激昂したのか?
猪木は鉄柱攻撃からの頭突きで長州を血祭りにあげ、卍で締め上げる。
見かねた馳浩が救出に駆けつけところで乱入による長州力の反則負けという裁定が下され、余りに中途半端内容でファンの怒りに油を注ぐこととなる。
特別試合:時間無制限1本勝負
◯ビッグバン・ベイダー
(2分49秒 パワースラム→片エビ固め)
×アントニオ猪木
それでも最後にベイダー倒してスッキリすれば、終わり良ければすべて良し! と、大団円なのだろうが…
肝心の猪木は、お笑いタレントが連れて来た素性の知れない外人に散々いたぶられた挙句、良いところなく3分弱でアッサリとホールをとられてしまう。
長州と猪木の濃厚な一騎討ちを期待してチケット買った観客としては、一体何を見せられてるんだ? と呆気に取られたことだろう。
試合終了後も怒りの収まらない観客はその場に留まり、罵声、怒号が飛び交い、リングにはモノが投げ込まれる。
リングアナのケロちゃんが土下座で詫びるも騒動は一向に収まる気配はなく、事態の収集のため嫌々駆り出された猪木の『みんな、今日はありがとう! 長州選手とは今一度、正々堂々と戦います。みんなの期待は裏切りません!』という能天気なマイクに観客の怒りは沸点に達し、国技館の椅子や枡席を破壊、遂には展覧席に火を付けられ、両国警察署の介入する事態に発展する。
*このときの猪木はどんなに説得されても観客に頭を下げることを良しとしなかった。『俺が頭を下げれば、この場は収まるかもしれないが、そのかわりアイツらは2度と観に来ねぇぞ!』って、そこはスーパースターの発想だね。
この暴動騒ぎを受け相撲協会は、新日本プロレスに対して300万円の賠償と両国国技館の無期限貸し出し禁止を通告するという大騒動となった。
*年内に予定されていた国技館でのビッグマッチはすべてキャンセル
この時代の馬場・猪木というのは単なる興行主というだけではなく、ゴールデンの番組プロデューサーという立ち位置でもあった訳で、当然テレビ的な話題作りも必要だったのだろう。
TPG(たけしプロレス軍団)というのはテレビ朝日主導の企画では有ったが、アポロ菅原をコーチにして新弟子(邪道、外道、スペルデルフィン等を輩出)を募り育成を試みたりと本腰を入れようとした形跡も窺え、がそのまま続けばそれなりに面白い展開になっていたとも思う。
しかしながらこの時代のファンは兎に角カテェ人が多く、そういうノリは受け入れられなかったようで、この暴動ですべてチャラになってしまった。
*多分この世代の人達も、今ではアメトークのプロレス芸人を見て爆笑しているのだろうから、時代を先取りし過ぎたのだろう。
今のプロレスファンはSNSを使い、何でも思ったことをすぐに発信出来て、ファン同士で情報交換やらバトルしたりと、簡単に不満を発散することが出来るが、この時代は専門誌の投稿欄と、あとはせいぜい後楽園ホールのアレくらいのもので、出口の無い鬱積した不満があのような行き過ぎた熱狂に繋がったのだと思うが、この時代のプロレスファンってのは今と比べてピュアだったと言うべきなのか、馬鹿だったのか?
結果的に方向性は間違ってはいるのだが、そこまでの熱量を持ってプロレスに入れ込んでいられたというのは、正直羨ましくもある。
そんな衝撃の日本デビューから11年…












