1978年7月27日 日本武道館
主催者発表≡8,700人
WWWFジュニアヘビー級選手権試合
61分1本勝負
◉藤波辰爾
(13分52秒原爆固め)
×剛竜馬
前回のストロング小林に続き、今回ご紹介するのは、プロレスバカ・剛竜馬!
この人も小林同様、国際プロレス崩壊前の新日移籍組であり、国際プロレスOBを集めると必ず剛の悪口が出てくるという曰く付きの人物で、このシリーズの主役であるアポロ菅原や高杉正彦とも少なからず因縁のある人物ではあるが、それはまた本編で触れるとしよう。
上記の誌面を拡大して貰えば詳しく書いているのだが、この試合は経営の傾きかけた国際プロレスに見切りを付け、アメリカのヒロ・マツダの刺客という設定で新日に殴り込みを掛けた剛竜馬と、それを受けて立つ藤波辰爾の初戦にあたり、マニアックなファンの間では剛竜馬の生涯ベストバウトと呼ばれているらしい。
注)剛竜馬の離脱を察した国際プロレス側は、どうせ移籍してもストロング小林のように最初だけ持ち上げられて使い捨てにされるのが目に見えていると説得にあたったようだが、既にギャラの遅延など、使い捨てより酷い待遇の国際プロレスに見切りを付けた剛は、夜逃げのように団体を後にした。
試合の方はというと、猪木同様ねっとりとしたグラウンドの攻防から始まり、たまにドロップキックなどの早い動きを盛り込むので、現在のジュニア戦のような全編を通してハイスピードの展開では無いのだが、緩急の付け方が絶妙なので、たまに出す跳び技が凄く映える。
剛竜馬の見せ場も結構あって、終盤に出したジャーマンは綺麗なブリッジであわや3カウントといったとろだったが、ニアロープ😰
そしてフィニッシュはフルネルソンの体制でドラゴンスープレックス(ベイダー戦前のガチなヤツ)を決めるか? ってことろで剛がバックを取り、それを更に切り返した藤波がジャーマンスープレックスで切って落とすという、2匹の🐲ドラゴン🐉が目紛しく交差する攻防なんだけど、そんなことはどうでも良いんだよ!
試合内容なんてのは動画のリンクを貼っておくから、これを見てもらって、私が何に驚いたかっていうと…
「バーカ、バーカ、バーカ、バーカ」と、バカコールをうけていた!
観客から、バーカ、バーカと、コールされるのを良しと、していたのも、剛竜馬ぐらい、なんじゃないかな!
剛は厚木の家賃4万円足らずの古ぼけたアパートで一人生活をしながら、知り合いの所を訪れては仕事の斡旋を頼む日々を送りました。
食うのにも困り果てて親しい人たちにわずか千円の金を無心するとこも度々でした。そしてたまにプロレスの仕事があって数万円の金が入ると、あと先の生活のことなど考えることのない風に酒をあびるほど飲み酔いつぶれた姿を見せるのでした。
そんな自堕落な剛に辟易して親しかった友達も一人去り二人去りして、晩年、剛と連絡をとるのはほんの限られた人間だけとなっていました。
剛が死ぬ数日前、何人かのレスラー仲間や友達のところへ剛からのメールが届いていましたが誰れも剛に返信を返すものはいませんでした。
2009年10月15日夜、連絡がないことを心配した長女がアパートを訪れ、部屋の中で倒れている剛を発見しました。
救急車で病院に運ばれ手当てを受けましたが、3日後の10月18日、剛は敗血症のため永眠しました。享年53。
近々アポロ菅原のYouTubeチャンネルを作ろうと準備しています‼️
— YOH0724 (@yoh0724) 2021年5月5日
国際プロレスからの色々なエピソードや裏話などなど本人の口から語ります😊
そこで皆さんにお願いがあります!聞いてみたい話し募集します。答えられる限りの事はお話しします😊
宜しくお願いします‼️
アポロ菅原のYouTubeチャンネルで質問を募集するらしい。
どうせ皆んな、SWSの時の鈴木みのる戦の話を聞かせてくれって言うんだろうけど、この人意外とネタの宝庫なんだぜ!
ま、それは追々本編で…