前略、アラーキー様【後編】 | まつすぐな道でさみしい (改)

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> 一番最初に好きになったプロレスラーはゴールドバーグで、一番最初に好きになったプロレス技がゴールドバーグのスピアーなので、
↑の議論にガブガブ噛みつきゃあしません。


 なる程、ゴールドバーグってことは’90年代後半から’00年代初頭くらいがプロレスの入り口でしょうか? K-1やPRIDEの格闘技が幅を利かせ始めたけど、辛うじてプロレス人気も持ち堪えてた頃で、暗黒期に向かって行こうって時期ですかね?

 この入り口がどの年代で、誰に惹かれて見始めのたかってことは、その後のプロレスに対する価値観や考え方の違いに大きく影響しますよね。

 これは先日シバターさんのコメント欄に入れた内容と被るのですが、自己紹介がてら少し自分のことにも触れておきましょう。



 私の原体験として一番古い記憶は、小学1年生くらいにテレビで見たこの試合(初めて見たのでは無く、最初の印象に残った)になるので、プロレスファンとしては、ほんの少しだけ先輩になります。

 当然、コレを見てブッチャーのファンになったとかそういうのは無く、子供の頃の自分にはただひたすら怖かったというトラウマだけが残りましたし、私が子供の頃から熱狂的なプロレスファンだったという訳では無く、この時代の子供にとって生活の中にプロレスがあるってのはごく当たり前のことだったと記憶しております。

 プロレス人気の復活で最近は子供連れのファンも多く、会場で子供の姿を見掛けることも少なくは無いのですが、自分らの時代には子供達だけで観に行くってのも当たり前だったので、その時代と比べるとまだまだアレだと思います。



 私がガキの時分の話をさせて頂くと、大分県立荷揚町体育館っていう、年に一度くらいしかプロレスの興行の来ない田舎の会場が有りまして、ここに小・中学生のガキどもが小遣い銭を握りしめてチャリで駆け付けるんですが、当然ガキの小遣いなんてたかだか知れてるんで、みんな一階の立見チケットくらいしか買えません。

 でも、そんな中にも一人くらいは裕福な子供が居ましてね、『2階の指定席を親に買って貰ったなんて抜かすわけですよ!

 その後、クソガキどもがどのような行動に移ると思いますか?

 まずはチケット持った金持ちの子が2階席に入るんですよ。

 そこで周りの様子を見ながら、野球帽に2階席のチケットをくるんでバルコニーから1階に投下。これを繰り返して6.7人くらいのガキが2階席に雪崩れ込むっていうタチの悪い状況に陥るんですな。

 当時は上手いことやったな〜なんて思ってたんですけど、今になって考えると、当然会場のスタッフやレスラー達も気付いていて、『ガキのやることだから』って見て見ぬ振りをしてくれていたんだと思いますよ。
 
 実際、今コレをやったらどうなるんでしょうね?

『保護者はいったい何やってんだ?』(親とは来てないんですけどね)『スタッフが取り押さえろよ!』『こっちは金払ってんのに狡いじゃないか』『マナーのなってないガキは会場から締め出せ!』って、正義感に燃える大人たちに Twitterで画像を晒され、いわゆるネットリンチに遭うんでしょうか?

 そう考えると、ま〜のどかな時代だったと言えますね!


 
 そんな時代ですから試合内容というのも、馬場やハンセン、ブロディ、鶴田なんかがね、タッグマッチで対戦してバチバチのしばき合い! なんてことは無いですよ。

 地方興行なんてのはアレでね、大概最後は場外乱闘になって、雛壇を登って2階席まで雪崩れ込んで大暴れでね、観客がキャーキャー言って逃げ惑ってる内にゴングが打ち鳴らされて、両者リングアウトなんて不透明決着なんですが、それでも客は馬場やらブロディなんかを間近で見れたってだけで大満足だったんですよ。

 補足ですが、この頃はまだ馬場さんじゃなくて馬場でしたね。

 この違い分かります? もうこの頃テレビ番組なんかでは『アッポー』なんてネタにはされてはいましたが、物販スペースでサインしてる優しいおじいさんというイメージでは無く、まだ辛うじて荒ぶる巨人として現役感を保っていた時代でしたね。

 それからこれはずーっと後になってからの話ですけど、週プロがね『新日は地方巡業では手を抜いている』なんて記事を書いて、取材拒否されるなんて騒動も有りましたが、ま〜地方興行なんてのは元々そんな物だし、地方の観客も年に一回テレビで見ているレスラーを生で観れるだけで十分だったんだと思いますよ。


 なんといっても、この頃はニューヨークのスラム街でネズミ食って育ったようなレスラーとか、奇想天外な外人選手などが来日してね、そんなの来られたら一目で良いから見てみたいってな時代ですから…


 この時代のレスラーといえば、決して一般の社会では生きて行けないような異形の者であり、プロレス会場というのは今みたいな煌びやかな空間では無く、ある意味サーカスや見世物小屋のような妖しげな異空間だったんです。
*当時もプ女子なんてのも居るには居たんですが、それはリングサイドに陣取るパンチパーマのおっさん(地元の○ヤ)に同伴したスナックの姉ちゃんのことを指す物でしたね。

 田舎のガキンチョにとってはそんな空気に触れられるだけで満足で、そこには真空だとか、リアルだガチだなんて小賢しい理論の入り込む余地なんて無かったように感じますね。


 あの日を迎えるまでは…





 1993年1月27日 最大のファンタジーを失ってしまったプロレス界は、この日を境に大きく様変わりして行きました。

 プロレスの歴史観はこの日を分岐点としてアンドレ以前、以後として分けられるのですが、アンドレ・ザ・ジャイアントという魔法を失ってしまったプロレスがこの後どのような道を歩んだのかといえば、ご存知の通り四天王プロレスに代表される、生身の人間がその肉体を削る姿を観客に魅せるという残酷な方向に舵を切ったのです。

 アンドレ以前に住民登録を済ませてしまった私からすると、『ここまでしなければいけないのか? 』と、正直苦手意識しか無かったのですが、そんな中にも唯一救いと感じられる技がアレでした。



 ラーメン屋のオヤジが繰り出す、梅村式コブラツイスト(片仮名表記は、ストレッチプラムでしたかね?)という、この技を初めて見たときの衝撃と言ったらね。

 あの中途半端な位置のクラッチもされていない左手を後ろに反らすこの技は、いったいどのような理屈で相手を締め上げてると言うつもりなのだろうか? 

 後ろに反る力より、前に押し返す力の方が強いのでは?


 そんな疑問を抱えながらも鬼気迫る表情で捻り上げる姿には、あの殺伐とした四天王プロレスの中にあって唯一理屈を超えたファンタジーが感じられる、ほんとうに素晴らしい技だと感心していました。



 話を物議を醸し出した『走り込んでキックして来る相手を座って待っているという、馬鹿みてぇなフィニッシュ』に戻しましょうか?

 船木誠勝って若い頃はあまり魅力的なレスラーだとは感じなかった(あくまでも個人的な意見です)のですが、50越えた今、最高に格好良いですよね。

 プロレスラーはその生き様をリングに投影すると言いますが、新日、UWF、藤原組、パンクラス、ヒクソンに負けて引退後は暫く役者で食って行こうとするも上手くいかず、深夜の工事現場のアルバイトなどを挟みつつの、前田日明との接点を持ち総合の舞台に復帰から武藤全日本入団、Wー1からフリーという、この壮絶な振り幅のキャリアが全部今のプロレスに生かされてるように感じるんですよ。

 この浴びせ蹴りなんて新弟子時代に出稽古で身に付けた骨法の技ですよね。

 この相手の打撃を捌き、掻い潜っての浴びせ蹴り…からの〜PK! PKって言っちゃ駄目なんですよね。

 最初のスリーパーで座らせる作法を浴びせ蹴りに置き換えた、派生系のPKって表現はOKですか? 

 兎に角ね、このフィニッシュが馬鹿みてぇに格好良いんですよ!

 でも、コレはあくまでもプロレス的な格好よさであって、同じことをUFCでやったらタチの悪いジョークになってしまう。


>  PKを「馬鹿みたいなフィニッシュ」なんて…よくこんな空気を読まない発言できたもんだとヒリついてました…(笑)

> おいアステカイザー!俺らと柴田勝頼はJUJOのかませ犬じゃないぞ!PKを八百長呼ばわりしたヤツは十条で蹴り殺してやるからな!残念ながら50歳の誕生日がお前の命日だ!


 ま、コレは柴田勝頼ファンでもなんでも無いお兄ちゃんが、ネタで吠えてるだけなんですが、格闘技のロジックに当て嵌まらないプロレス技を八百長(もしくは八百長扱いされたと憤る)と捉えるのか、馬鹿格好良い(ファンタジー)と捉える、もしくは無茶を承知で格闘技のロジックに当て嵌めて解説する(実はコレが1番下らなくて面白い)のかなど、捉え方・楽しみ方は人それぞれで、色んな角度から楽しめるのがプロレスの奥深さであり、何よりもこうやって語り合えるのはプロレス者としての至福の時なんですよね。


 私はプロレスラーってのは、常識や理屈を超えた馬鹿みてぇに凄え存在だと思っているんですよ。

 だから何でもかんでも格闘技のロジックに当て嵌めてカテェだ強えだと語るよりは、むしろ格闘技のロジックに収まり切れない、馬鹿見てぇに格好良い技にこそプロレスの魅力を感じるんですよね。





 コレ、ちゃんとコメ返になってるか?



 それから、十条で蹴り殺してやるからな! なんて抜かしてるお兄ちゃん、本当に十条までトドメを刺しに来てくれるのかしら?



 5月9日
 十条でお待ちしております。