1924年 金 信洛 誕生(朝鮮・咸鏡南道)
1938年 馬場正平 誕生(新潟県三条市)
1939年 第二次世界大戦開戦
1945年 第二次世界大戦終結
1955年 馬場正平 巨人軍入団
1959年 馬場正平 巨人軍退団

「木村の前に木村なく、
. . . . . . ...木村の後に木村なし」
木村政彦
講道館柔道七段。 全日本選手権13年連続保持、天覧試合優勝も含め、15年間不敗のまま柔道を引退。
身長170センチ 体重85キロ
当時の日本人としては多少大柄な部類に入るかもしれないが、柔道家としては決して大きくないこの男が、現在においても史上最強の柔道家と称される。
男は通常大型化選手が用いると言われる大外刈りを実戦的な技として駆使し、その切れ味鋭い大外刈りは自分の踵で相手のふくらはぎを打つように掛けるもので、一種の打撃技、蹴り技の風体をなしており、当時の拓殖大学にして、『一端木村先生が大外刈りの体勢に入れば、その瞬間一気に畳に叩き付けられ、速すぎて受け身を取る事も儘ならない。無理に抗おうとしも脚の骨を叩き折られる。』と言われていた程の切れ味で、実際に怪我人が続出し、講道館への出稽古では大外刈りが禁止になっていたという。正に鬼である。
そして、木村の強さは立ち技だげに止まらず、寝技や抑え込みなどの極め技にも長けており、彼の得意とした腕がらみはブラジルやアメリカの総合格闘技の世界ではキムラロックの名で定着している。
さほど体の大きくもないこの男が、これほどの強さを発揮していたというのは一概に信じがたい話ではあるが、身長180センチ 体重125キロの巨漢で、大山倍達とアメリカに渡りプロレスラーと試合をした柔道家遠藤幸吉をして、こう言わしめている。
「それは君、強いなんてもんじゃないよ。(中略)実際に稽古をつけてもらった私たちから言わせてもらうと、木村さんの強さは別格です。組んだ瞬間、石みたいに硬くて動かないんです。巨大な岩みたいにまったく動かない。(中略) でも動かないんだから、一センチも動かないんだから、どうやって崩せっていうの。崩せないんだから技もかけられない。」
そして木村の強さについては、伝説の武人達の証言も残されている。
極真空手の創始者である大山倍達も木村の試合をこう評している。
「試合は『木村相手に何分立っていられるか』のタイムを競うだけのものだった。とにかく技が速い。神技だよ。全盛時代の木村先輩には誰もかなわない。ヘーシンクもルスカも三分もたないと断言できる」
身長154cm体重46kgと非常に小柄な体格ながら、ロバート・ケネディの屈強なSPを子供のように転がしたなどの伝説を残し、生ける伝説と呼ばれた武神、養神館合気道塩田剛三。
「 まあ、今の若い人間にそれだけ稽古をしろと言っても無理だろうな。
今の柔道の連中じゃ、木村にはかなわない。 今やらしても、山下や斎藤あたりはコロンコロンやられるよ。
大外刈りひとつとっても、切れが違う。 今のような体力の競い合いじゃなくて、木村は技で投げていた。 どんなでかい奴でも、一発でふっとんでいたからな。」
伝説の武人と言っても若い人には分かり辛いと思うが、格闘技漫画グラップラー刃牙に出てくるキャラクターで言うと、
大山倍達が愚地独歩

塩田剛三が渋川剛気




そして木村政彦は、主人公範馬刃牙のお爺ちゃん、つまり最強生物範馬勇次郎の父親である範馬勇一郎のモデルだと考えて貰うと分かりやすい。


そして忘れてはならないのはキムラロックの名を世界に広めた、最強一族の長エリオ・グレイシー。

「私はただ一度、柔術の試合で敗れたことがある。その相手は日本の偉大なる柔道家木村政彦だ。彼との戦いは私にとって生涯忘られぬ屈辱であり、同時に誇りでもある。彼ほど余裕を持ち、友好的に人に接する事が出来る男には、あれ以降会ったことがない。五十年前に戦い私に勝った木村。彼のことは特別に尊敬しています」
エリオはUFC.1の大会終了後マスコミに対して、「マサヒコ・キムラは我々にとって特別な存在です」と語り、1999年PRIDE GRADPRIX 2000でホイスと来日した際には、講道館の資料室を見学し、既に故人となっていた木村の写真を見て「日本に来れて本当に良かった」と涙を浮かべたという。
そしてグレイシー博物館には、半世紀前に木村と対戦した時にエリオが着た道衣が飾られている。

これ程までに格闘技界での評価が高く、海外でも名を知られる木村だが、日本の柔道関係者から公にその功績を語られる事は殆んどなく、あの本が発売されるまで日本国内での知名度といえば、一部の柔道・格闘技マニアにその名を知られる程度で、一般的な知名度は皆無に等しかった。
しかし、日本柔道界がこの男を黙殺し続けたのにも当然の理由がある。大相撲・関脇止まりの高々プロレスラーごときと、あのような試合を演じた男が史上最強の柔道家では都合が悪い。
この男もその歴史の中で、存在自体がタブー視されて来た一人であった。
