今 少し気になることがあります。

 

日本の聖書では外国人という表現をされていますが、ソロモンの聖殿が建設された時には外国人も聖殿に来て祈れる庭があったのでしょうか。

神様から聖殿建築に託された時に宮と庭をつくれともあり、韓国の聖書ではいくつかの庭ともあります。

後にはヘロデの時には異邦人の庭、女性たちの庭、と韓国語ですがそのように表現されていますが、、

ソロモンの時にも外国人に対した庭があったのか、気になってます。

 

聖殿建築後のソロモンに祈りには外国人も遠くから宮にきたときには主の宮に向かって祈ったその祈りを主がイスラエルの民と同じように聞き入れて下さるように、主の栄光のために祈っているし、主もその祈りをききいれていますよね。

 

そのソロモンの祈りを読んだ時、神様の願う宮とはイエス・キリストを現わす宮とも感じれました。どんな人でも来なさいというイエス様の救いと祝福があるところが神の宮だと思いました。

今教会はこの本質をのがしてはいけないです。

 

イエス様はヘロデ神殿で本質をのがしていたから怒ったのではないかと思います。

 

外国人に対した庭はないという牧師先生もいますし、

イエス様が怒った理由は別にあるともいいますが、

 

私は神様の願いは万人にあったと思います。